ひとりぼっちの地球侵略2巻に関する備忘録。(1/30更新)
「サンデーうぇぶり」でぼっち侵略2巻までの試し読みができるようになり、そのコメント欄を網羅するためにアプリで2巻を読み返していたのだが、それで再確認し直したことがいくつかある。まだ整理しきれていないのでメモ形式でブログに残す。ちゃんと整理出来たら別の形にして本記事は消しておきたいなぁと思うばかり。
で、発端は2巻105ページの5コマ目。広瀬くんが潰されたことを視認した大鳥先輩の最終的な表情である。昔からここのこの表情を咀嚼するのに大分時間がかかっていたのだが、最近こうして読み返すと2巻及び1巻終盤を中心に考える材料が驚くほど容易に揃った。こんな感じ。
1巻181P「最近広瀬くんと過ごすようになって毎日が楽しい。今までこんなことなかったもの、壊したくなかっただけ…怒らせるつもりじゃなかったの。」
大鳥先輩は広瀬くんと過ごす楽しい日常を壊さないために仲間を手に入れた後も地球侵略という使命を一人で抱え込んでしまったわけだが、少し踏み込んで考えるのならここで大鳥先輩が大事にしたいのは広瀬くんと過ごす「楽しい日常」の方であり、決して広瀬くんという個人ではないということになる。
で、1巻の149~150Pの広瀬くんの推察は恐らく考えすぎなのだが(仮に合っていたとしてもそれは無意識である可能性が高い)、大鳥先輩がこのときそういうどうでもいい時間を心の底から楽しんでいたのであれば、2巻130Pの問答「お前にとってこの地球人っていったい何…?」「暇つぶし…」とは、広瀬くんの死の直前まで、大鳥先輩にとっての仲間の存在価値がそこに集約されていたことの証左に他ならないことになる。
となれば、2巻105ページの5コマ目で彼女が仲間の死に対する悲痛とは思えない程弛緩した悲しみにくれていたのは、暇つぶしに最適だった「おもちゃ」が壊れたことに対する残念な気持ちが表出したものだったのだろう。「おもちゃ」が壊れたことを残念がる悲しみであり、自分のおもちゃを壊した(自身と同じ)子供への怒りだったのだ。
ここで見落としてはいけないのが、大鳥先輩が広瀬くんをおもちゃのように扱っていたことは本人にとって確実に無自覚であったであろうということだ。今までブログにも書いてきたことだが、3~5巻の変遷を追う限り大鳥先輩はこの段階では仲間という概念に躍起になるばかりで、それが指している広瀬くんという個人に全く注目しきれていない(故に3巻では広瀬くん個人との繋がりの証明をキスのみに依存し、それが地球人の前で破綻した5巻ではその代替となる証を目に見える形で模索することになる)。
だからこそリコによる「なんでお前が怒ってるんだ! あの地球人とお前は関係ないだろう!」という問いかけがここでは必須であり、それを咀嚼することで大鳥先輩は癇癪を抑え、「仲間になってくれた広瀬くんという個人を失った」という事の本質と向き合えるようになる。1巻で祖父を失いかけた広瀬くんの気持ちをここで本当に理解したとも言えるし、あるいはそんな広瀬くんの気持ちを知らず弄んだ罰だったのかもしれない。
……とまぁ綺麗に終わらせれば楽な仮説なのだが、どうにも他の部分を読み込むとやはり補強というか言い訳というか、理屈をもう少しこねないとまだ通らないかなぁとも思ってしまう。例えばこの辺り。
1巻「だってあなたは私の心臓を持っているんだもの! これはきっと宇宙であなただけにしかできないこと。 特別なの!」
めっちゃ個人認識してねえかゆう話で。
ただまぁ、ここに関しては筋道が通らなくもない。そもそも大鳥先輩は広瀬くんの命を奪いかけておきながらいざ心臓が同化しているとなると謝罪もせずに仲間に誘っている。そして彼の祖父が死に瀕している状況でもそれを仲間になる見返りとして無邪気に提示し、ゴズ星系の宇宙人を子供か猫のように可愛がる発言をしつつ殺している。
つまりは命、他者が生きているという事に対する認識が根本的に希薄なのだ。他者の命を奪うことにも奪われることにも関心がなく、また自らの命に関しても然程重要視していない。
先の特別という発言も、星の数ほどある生命の中で、「自分と同等の存在」という特別な条件を満たしている子供がいるから、それに「仲間」というレッテルを貼って喜んでいるだけなのだろう。恐らく。
ちなみに自分と同じ、という理屈はぼっち侵略は結構大事。大鳥先輩は命をかけて地球侵略という使命を果たそうとしているからこそ、広瀬くんの命がけで大鳥先輩に報いようとするその姿勢を「自分と同じ」というラインで理解し、それに感動しているのだ。
閑話休題、こういう引っかかる部分は他にもある。というか過去自分が言っていた理屈が今考え直すとしっくりこない。
例えばかつての私は「大鳥先輩が仲間という概念が今何を指しているか気づいていない≒広瀬くんという個人に無関心」という読みの補強として、
・凪と広瀬くんの見分けがつかない(つかない程に興味がない)→リコ戦以後は認識が改まったために見分けがつくようになった
・リコを観察している最中、スカートの中身を見られてもどうとも思わない→広瀬くん個人のことを意識していないから辺に注目されても同とも思わない
という読みをしていたのだけれど……この辺りはどうなんだろうという感じ。
先にスカートの中が云々から見ていきますが、これはあからさまに無理過ぎないか?
もっと単純に、大鳥先輩には女の子としての意識や恥じらいがあんまりない(文化としては一応知っている)→なのでキスも女の子としての意識以外の意味合いがあることを示唆してる、みたいな読み筋の方が綺麗なんじゃない?
凪と広瀬くんの見分けが云々についてはもう少し複雑で、これは「凪のことが苦手だった大鳥先輩がリコ戦の後慣れるのは、凪の意識の変化以外にも理由があるんじゃないの? この辺りの描写にページ割きすぎだし……」という願望みたいな気持ちが正直強い。小川先生はいろんな描写にあれこれネタを仕込むのでここも大鳥先輩側のテーマにかかっているのではないかと疑ってはいるのだが……凪というキャラクター自体の描き方が作中で色々変遷していることがこれに待ったをかけてくる。
パーフェクト・ワールドからのゾキの登場なんていうのは最も分かりやすい気がするが、小川先生は凪というキャラクターをどう描き切るか試行錯誤していた形跡がある。ここを踏まえると、凪に関する2巻の描写も単にそこの試行錯誤の名残なのではないか? と思わなくもない。2巻での凪に対する大鳥先輩の好き嫌いの変化はどう読み直しても凪側の要因が強いという風に描かれているので、二人が双子だから似ていて迷う、という大鳥先輩の発言だけで先の仮設を押し通せるかは正直疑問。
何せリコ戦を眺めていたときの凪の心情を改めて解説したのが7巻と大分遅めなので、小川先生自身も自分で蒔いたネタの回収に苦労されたんじゃないかとか思ってしまう。
ぼっち侵略の序盤は下手に描かれたものを全回収しようとすると、後々の整合性の問題で狂う部分もあるのでここら辺の塩梅が難しい。誰か一緒に考えてほしいなぁ。
……などと考えていたら3000文字近くになってしまい日付も変わってしまったのでここまで。とりとめもない内容で読みにくいとは思いますが何か気づいた人はコメントしていただけると嬉しいです。以上ぼっち侵略2巻の備忘録でした。お休み。
……そういえば最近はこうやって表紙の画像を使ったりしてますが、これは版元ドットコムというサイトから書影を使用しています。
著作権に大きく抵触しない範囲で表紙をお借りできるなら、ということでここのサイトの書影のみ当分使っていくつもりです。ページの引用は今後もしません。
(1/30追記)
上記の内容について何人かの方に相談したところ、とある方からシンプルイズベストな回答を頂いてポンポンを膝を叩いたので下に簡単に書かせていただきます(文意が変わらないよう注意しつつやや書き直しています)。
『岬一と凪という双子を個別に認識できない(個人というものに興味を抱いていない)ために、二人の個体差(二人の先輩に対する接し方があまりにも違うこと)に戸惑ってしまっていたものの、リコ戦を経て岬一という個人に興味を持ち、そこから凪との見分けがつけれるようになった先輩は個体差を理解できるようになったんじゃないでしょうか。それと、序盤はまだ設定等の地盤が固まってないこともあるでしょうから……。』
シンプル。イズベスト。こうしてパッとまとまった答えを見てみると、どうも私は自力で材料を揃えられても一旦思考が泥沼にはまるとごちゃごちゃになってしまうなぁと思うばかりです。やはり他人に助けは求めるべきなんだよなぁ。
なお個体差云々って8巻→9巻の心臓から針山までの流れじゃないの? と思う方も(ごくごく少数)いらっしゃるかもしれないが、仲間という枠組みに依存している2巻~5巻とそれをマーヤに破壊された後の7巻以降では個体差に注目することの意味合いが全然違うので(仲間という枠を補強する証を探すのと仲間という枠を超えて新たな関係の形を模索するのとでは同じ”個人”という答えでもやっていることが全然違う)、まぁモーマンタイ。
というわけで、五里霧中もいいところだった私の頭に喝を入れてくださったことに感謝して、その方に関する宣伝をば。
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なぜこんなリンクの貼り方をしているかというと、公式サイトらしきものが無く表紙画像付きのリンクが見当たらなかったから。辛い……辛くない? いや辛いよ。
時間があったらこっちも感想書きたいけど、現状では『てのひら創世記』の感想すらままならないのが猶更辛い。頑張ろう。