時緒、かける少女(6)
(6)
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
右手を揺らされる感触で時緒は目を覚ました。
「あ……」
目の前に、座り込んで寝ていたらしい自分に呼びかける妹がいる。
「お姉ちゃんやっと起きたー。どうしたの、なんでここで寝てるの?」
「え……?」
どうやら二人の様子を眺めているうちに一緒にうたた寝してしまったようだった。
どのくらい寝ていたのだろう。ずり落ちた眼鏡をかけ直す。
「えーと……二人の様子を見に来てたの。一緒に寝ちゃったみたいだね」
「お姉ちゃん寝る準備してないでしょー、いけないんだー」
普段の仕返しとばかりに妹がちょっぴり意地悪そうにそんなことを言う。
見れば弟も起きていたらしく、何やら窓の方をしげしげと見ている。
「そうね、ちゃんと寝る準備しないといけないね」
そういいながら時緒は立ち上がる。何故か両足に疲れが溜まっていた。
今日のお祭りはそんなに歩いただろうか。
ふと、気になったことを時緒は妹達に尋ねる。
「二人とも、どうして起きちゃったの?私のせい?」
「ううん。お兄ちゃんがね、花火見たんだってー」
妹の返事を聞いて時緒は不思議に思った。
花火? そんなイベント、松横市祭りにあっただろうか。
仮にあったとしても初日に行ってしまうものなのだろうか。
「花火、どこで上がってたの?」
弟に聞く。
「あっち。赤いのがヒューって上がってった」
弟は窓の向こうを指さした。指先が示す方向の空を覗いてみる。
花火らしきものは何も見えない、星の瞬く綺麗な夜空があった。
見渡してみるが、花火が撃ち上がった後の煙さえ見えない。
「何にもないよ? 音も聞こえないし……」
「あれー……? でも、そういえば音が全くしなかったなぁ……」
「本当に上がったの?」
「本当だもん。凄く明るくなって、それで起きたんだ」
もう一度空を見てみる。やっぱり何もない。何となく、人差し指を花火に見立ててすーっと下から上へなぞってみた。
ふと、脳裏に赤い炎が閃いた。
思わず指を窓から離す。何か、夢を見ていた気がする。浅い眠りだったから夢の一つや二つ見ると思う。でもなんだろう、もやもやして思い出せない。いつもなら忘れそうな夢なんて何とも思わないのに、それは良くない気がしてつい記憶を辿ろうとしてしまう。
炎。背中。
バシン
『あー、スッキリした』
そうだ、あの文化祭の日。私はキャンプファイアーの傍で岬一くんを蹴っ飛ばすアイラ先輩を見かけたんだ。それきり炎を見つめたままだったアイラ先輩の背中は、何となく大きく見えた。
でもこれは夢の内容じゃないような気がする。本当はどんな夢だったんだろう。やっぱり忘れてしまったみたいだ。
……ただ。今思い出せたことは、夢と同じくらい大事なことだと直感した。
「おーねーちゃーん?」
ハッとする。しまった、夢を思い出そうとするあまりまたぼんやりしてしまっていた。これ以上妹に怪しまれるのは姉としての沽券にかかわる。
「ごめんごめん、そうだね、言う通り、寝る準備をしてくるね」
時緒は今度こそ部屋を出ていく。妹達の元気次第では、明日のお祭りに備えなくてはならない。姉が一番の寝不足ではどうしようもなくなってしまう。
ドアを閉める直前、妹が言った。
「お姉ちゃん、明日もお祭り行こうね!」
ドアノブを握る右手が止まる。思わず小さく笑ってしまった。
「うん」
そう返してドアを閉め、居間に向かう。
……なんだ、やっぱり明日も忙しくなりそう。
時緒は妹達と見て回るお祭りの新たなルートを考えながら、一人くすくすと笑っていた。
翌日の松横市は快晴だった。
時緒は妹達と松横市祭りを見て回っていた。先日と違って今日は3人とも朝早く起床できたため、比較的自由にお祭りを見物することができたのだ。
日光で暖まっていく陽気を、秋風が適度に冷ましていく。チチチ、と鳥のさえずる声が聞こえてくる。
先日と比べてあまり大きなイベントがなかったおかげか、お昼頃には一通り妹達の見たいものを回りきれてしまった。
こうなるとお昼が暇になる。
「お姉ちゃん、お昼どこか連れてって」
妹の唐突な一言に時緒はちょっと驚かされた。
「屋台じゃなくていいの?」
「昨日沢山食べたからもういい。それよりお店の中で食べられるものがいい」
どうやら午後に向けて一休みしようという算段らしい。この先日ほどではないとはいえ、祭りの混雑に加えてお昼どきに空いているお店なんてそうそう思いつかない。ただし、時緒もどこかお店でゆっくりしてみたいのは事実だった。
そして実のところ、時緒もお祭りついでに行っておきたい場所があった。
「分かった。空いてて美味しいお店があるから連れてってあげる。少しだけ歩くけど、いい?」
わーい、と妹は時緒を繋いだまま飛び跳ねた。弟も賛成し、3人は移動を始める。
「そこってどんなお店なの、お姉ちゃん」
妹が聞いてきた。
「えっとね、喫茶店っていうの。分かる?」
「きっさてん?」
首をかしげる妹。流石に聞いたことのないお店の種類だったようだ。
「お茶を飲んだりしてゆっくりできるお店のこと。食べ物も出てくるからお昼ご飯も食べられるよ」
「ご飯美味しい?」
「美味しいよ」
本当は美味しいかどうかはまだ知らない。でも岬一くんはおじいさんの作る料理はとても美味しいと話していたし、間違いないと思っていた。
岬一くん。
文化祭の買い出し以来、あのお店に行ったことはなくて少し緊張する。驚かれないだろうか。
ううん、きっと大丈夫だ。
慌てないで、ゆっくりしていこう。
……お店が見えてきた。道沿いに並ぶ建物の中でも一回り大きい。『天の海』の看板が外に出ている。
そうだ。ご飯の前に一杯だけ、珈琲を頂こう。
そんなことを、思いついた。
…………。
「あー! こないだ更衣室に入ってきたお兄ちゃん!!」
「え!?」
「!?!?」
「岬一……お前、どういうことだ……?」
「違うんだじいちゃん、これはちょっと前にあった人違いのことで……!」
「ご、ごめん岬一くん……!」