ぼっちQ&A!~小川麻衣子作品感想ブログ~

『ひとりぼっちの地球侵略』や『魚の見る夢』等、漫画家の小川麻衣子先生の作品について感想を綴ったブログです。

・「ヒーロー」と「超人」という異なる概念、そして「ヒーローの錯覚現象」について。

ヒーローとは何か。取り敢えずアランムーアの言葉を持ってきてみよう。

『俺たちは実は凄い力を持っているんだが、ソファに座ってビール片手にテレビを見ているだけだ。スーパーパワーがあったって、やっぱりソファに座ってビール片手にテレビを見てるだけだろう。馬鹿がコスチュームを着たところで、変な格好のおかしな奴が1人増えるだけだ。ヒーローってのはスーパーパワーがあるとか、コスチュームを着てるって事じゃない。自らの意思でもって世界を良くしようと戦う人々の事を言うんだ』
ウォッチメンでは超人が必ずしもヒーローであるとは限らないことが描かれていた。ヒーローと超人は似て非なるものなのだ。それらがどのように異なる存在なのかここで書いてみたいと思う。

 

・「ヒーロー」とは物語の中にしか存在しない


ここで言う物語とはフィクションのことではない。個々人の中に存在する一定の出来事を指す。それは実際にあったことでも良いし、無かったことでもいい。
例えば、ある人が強盗に襲われた時、または火災に巻き込まれた時、それを助けてくれた警察官や消防士、そうでない無名の人々でもいいが、とにかく救ってくれた人は、助けられた人から見て間違いなくヒーローである。事の大小は関係ない。現実か虚構かも問題ではない。誰かが困っていてとある人がそれを助けてくれたという物語の中で、助ける側の役割に立つ人、それがヒーローなのだ。ヒーローであるための条件はこれ以上でもこれ以下でもない。これさえ満たせば誰でもヒーローになれるし、逆にこれを満たせていないのならばどのような人間でもヒーローになり得ない。
さて、この物語の中で、というのが曲者である。人々がヒーローに対して持つ感情は、感謝の他に憧れがある。助けてくれたあの人のようになりたいという思いである。その感情を吐き出す方法には取り敢えず二つあって、自分もそうなるよう目指すか、その物語を誰かに話すかだ。話す際、物語はそこで再生産される。所謂シミュラークルというやつだ。その人本人が体験した物語は、その人が誰かに話すことによって、聞いた人にとっては「体験した人から聞いた物語」となる。この際、聞いた人は実際に助けられた人ではないためヒーローに対して感謝の仕様がない。もう一つの感情である憧れだけが聞いた人に残る。そうして憧れの感情だけが残ったヒーローの物語が連続して再生産されることになる。もしもこれが虚構の話で、助けられた人が現実には存在しなかった場合、読み手はその時点で既に憧れだけを受け取ることになる。ヒーローを中心とする物語において、憧れというのは伝播しやすい感情なのだ。

 

・憧れを加速させる「超人」


ところで、憧れという感情は相手が立派であれば立派であるほど強くなる。ヒーローがどれだけ立派であるか、どれだけ強いかが、憧れという感情によって再生産されるヒーローの物語の伝播速度を左右する。人は話したがる生き物である。ヒーローは強い方が話が盛り上がる。よってヒーローはその条件とは別にどんどん強くなっていく。結果として、誰も辿り着けないような境地に行きついてしまったヒーローが誕生する。彼は物語の役割である「ヒーロー」とは別に「超人」という属性を持つ。文字通り人を超えているのだ。あるいはそもそも人ではないかもしれない。凄まじい力を持つ「超人」が「ヒーロー」の役割を持つ物語は尋常ならざる伝播速度を発揮する。多くの人間がそのヒーローに対して強い憧れを持つようになるだろう。

 

・「ヒーロー」と「超人」の乖離、「ヒーローの錯覚現象」


さて、先ほどシミュラークルの話を出したりしたが、虚構の物語が新たに作られるとき、前回の話でヒーローだった人物が今度は誰かに助けられる役割になることがある。現実でも誰かを救って街のヒーローになった警察官が、逆にピンチに陥ることがあるだろう。この場合、その新たに作られた物語において彼らは「ヒーロー」ではない。「ヒーロー」の条件である誰かを助ける役割を持っていないからだ。ところがどっこい彼らは前の話ではヒーローだったのだ。同じ人物であれば憧れの感情を持つ人はそれでも彼らをヒーローと思いたくなるかもしれない。それが「超人」のヒーローであったのであれば猶更そうだろう。ここで、「ヒーローの錯覚現象」が発生する。本当はその物語ではヒーローではない筈の人間をヒーローと見誤ってしまうのだ。
また「ヒーローの錯覚現象」にはもう一つパターンが存在する。それは「超人」と「ヒーロー」が先述した通りの密接な関係にあることによるもので、つまりは超人であれば取りあえずその人はヒーローであると思ってしまうのだ。物語において別に誰かを助けるわけでもないのに、超人であるせいで彼をヒーローと見誤ってしまう。これが「ヒーローの錯覚現象」第二の事例だ。
箇条書きでまとめよう。「ヒーローの錯覚現象」には二つのパターンが存在する。
1.別の物語でヒーローだった人物を、役割が違う別の物語でもヒーローと思いこむ。
2.「ヒーロー」と密接な関係の属性である「超人」の属性を持つ人物をヒーローと思いこむ。


これを参考にして最近のヒーロー作品、あるいはそうでなくとも誰かを救う役割を持つ人物が活躍する作品を鑑賞すると色々発見があるかもしれない。どんな例があるかは適当に自分で考えてみよう。ではでは。