ぼっちQ&A!~ひとりぼっちの地球侵略感想ブログ~

月刊少年サンデー『ゲッサン』にて好評連載中の漫画『ひとりぼっちの地球侵略』について、徒然なるままに感想を書いていくブログです。

平成と令和を跨いで、小川麻衣子先生の読み切り作品を振り返ろう!(平成編)

こんにちは、さいむです。

今回は、平成と令和を跨いでのブログ更新ということで、小川麻衣子先生が『ひとりぼっちの地球侵略』完結後に描かれた二作の読み切りについてざっくりまとめていきたいと思います。

 

2018年11月に『ひとりぼっちの地球侵略』最終15巻が発売された際、小川先生が2019年に新連載をゲッサンで始める予定であることが15巻の帯で告知されていました。とは言えすぐに新連載が始まるわけではなく、2019年4月30日現在までの準備期間中に小川先生は二作の読み切り作品をゲッサンに掲載することになりました。一作目は小川先生にしては比較的珍しいコメディ調の強いラブコメ作品『いつか、君を』。二作目はいつもの小川先生らしさがありつつも新しい側面が垣間見えるボーイミーツガール作品「すぎれば尊し」です。

 

小川麻衣子が描いたラブコメとあらた伊里へのアンサー:『いつか、君を』

まず平成最後に見ていくのは、ゲッサン2019年1月号に掲載された『いつか、君を』です。小川麻衣子先生曰く、

「気軽な気持ちで描きました。」

    ※ゲッサン巻末コメントより

「頭のよろしくない漫画描きたい!!描いた!!ってノリだったけど果たしてどうだったのでしょうか。」

    ※小川先生のツイートより

ということらしい本作は、コメディ色のかなり強い作品となっています。

※概要の確認及びゲッサンの購入はこちらから。

gekkansunday.net

 

――あらすじ――

中学1年で学級委員長を務める川上乙華は、副委員長の五島幹太と談笑しながら係の仕事に追われていた。和やかな雰囲気の中、ふと体育系万能の五島に剣道の話題を振る乙華だが、五島は冷や汗混じりに話を逸らし逃げ去ってしまう。その背中に刺さる乙華の鋭い眼光。実は彼女は、小学生の頃男女混成の剣道大会で五島に一度も勝てなかったという苦い過去を持っていた。復讐に燃え五島と同じ中学に入学した乙華だったが、何故か五島は剣道をスッパリやめてしまっていた。果たして乙華は五島の弱点を洗い出し、そして勝利することができるのか。いや、そもそも乙華の正体にすら気づかない五島相手に、勝負を成立させることができるのか!?

 

あらすじからも分かるように、「いつか、君を(ぶっ倒す)」というファンシーなタイトルロゴを見事にひっくり返しています。前々からの予告で察してはいましたが、そう来たか……と初見では苦笑しながら読んでいました。主人公の名前が乙華(いつか)なので、「乙華、君を」ということで五島目線でのタイトルにもなっているという小ネタもあります。

一読してまず気になったのは、色々と新しいことに挑戦している部分が目立つことです。モブキャラの目つきが新しい、ヒロインの髪にトーンが入っているのが新しい(小川先生が髪にトーンを入れることはほとんどない。詳細は後述)、そもそもラブコメなのが新しい……と新しい尽くめです。気軽な気持ちでとは言いながら、ぼっち侵略連載時にはできなかった、やれなかったことを試行錯誤する様子が見て取れます。そうした目新しさを探すだけでもファンとしては大分楽しむことができました。

さて、小川麻衣子先生のラブコメ漫画なわけですが、小川麻衣子先生の作品は割とコメディの印象が薄いのも事実です。過去作品の中では、例えば『ひとりぼっちの地球侵略』13巻がSFラブコメと帯に銘打ってあったりもしました。が、私はどちらかと言えば5巻や3巻の方がラブコメとしては面白かったようにも感じています(まぁ、ぼっち侵略をどういう売り文句で宣伝したらいいのか難しいというのはよく分かります)。

本筋でシリアスな展開を進めているからこそ、合間に独立して挟まれるラブコメにメリハリがついて面白くなるというのがぼっち侵略のラブコメシーンの味だと私は考えているのですが、13巻はラブコメのラブの方に話の本筋が食い込み過ぎているんですよね。ぼっち侵略における広瀬くんと大鳥先輩の関係は作品テーマの根幹に関わる部分なので茶化すに茶化せないわけです(テーマを描き出す手段としては本当に上手いがラブコメにはなれない)。全編通して大鳥先輩と広瀬くんよりアイラと龍介の方がラブコメやっていたのもその辺りに起因するわけですが、ともあれそういった事情から小川麻衣子先生の作品においてラブコメが話の主軸となる機会はそう多くはありませんでした。

閑話休題、『いつか、君を』は小川麻衣子先生の作品にしてはあまり例を見ない、ラブコメ一本で勝負する作品となりました。で、果たして「ラブコメとして」どうだったのかというと……まぁ……そこそこ面白かったかなぁ……ぐらいの感じでした。

どうしても小川麻衣子先生の過去作品が頭にチラついてしまうのですんなり呑み込めないというのもあるんですが、コメディでないシーンのところがやっぱりシリアスな雰囲気になり過ぎた印象があります(基本的に乙華が重い)。単純に面白さ重視で考えるならもうちょっと全体的に軽めの話にしても良かったのかなぁと思わないでもないですが、逆に軽めの話を描こうとしてもそうなってしまう辺り、小川先生らしいとも思います。 

他方、そのシリアスな面に目を向けると途端に小川先生っぽさが顔を出し始めます。乙華が入学前の学校説明会で五島と再会するも忘れられていた件とか、五島が剣道をやめた理由を乙華相手に1コマですっぱり話し終えてしまう件とか、そうそうこういう噛み合わない話の作り方よくやるよなー(この辺だと特に3巻でよく見た印象)とうんうん頷いていました。こうした互いが互いに求め合うものがすれ違っていく描写はぼっち侵略でも多用されており、小川先生はコメディよりもこのような部分で特徴が出るタイプの作家なのだと改めて実感します。

総じて見ると「軽い雰囲気のラブコメになりそうで実はギリギリなりきれていない部分が目立つ」といった印象の作品でした。まぁ、ぼっち侵略というごつい漫画の連載が終わった直後ですし、堅苦しいことまで気にせずこれぐらい気軽に読める物があってもたまにはいいんじゃないかなぁと思いながら読み終えました(そもそも気軽な気持ちで描きましたと小川先生が仰っていますからね)。決闘の場面もいつの間にか試合が始まっているわ胴着は着ないわ白線踏み越えるわ、結構ハチャメチャな展開になってきたかと思いきや乙華の台詞周りがやっぱり重めなので一線を超え切れてない感じが惜しかったです。

 

私のブログにしては珍しく小川先生の作品に辛口なわけですが、ここからが本題。私が本作を読む中でどうしても頭から離れなかった「あらた伊里」という漫画家を紹介することで、私なりの本作の解釈を書いていきたいと思います。

あらた伊里先生は同人時代から小川先生と一緒のサークルで合同誌を出していた漫画家で、百合漫画を主に描いています。あらた先生の百合漫画の特徴はラブコメ要素がかなり強めなことで、このラブコメの描き方が本当に上手いんですよ。

あらた先生と小川先生は商業作家として活動を始めた後も親交が続いており、コミケで合同誌を出したり互いの漫画を手伝い合ったりしています。そして何を隠そう、今回乙華の髪の毛のトーンをあらた先生が手がけているのです。

ここまでこの記事を読んだ人の中には「じゃあ二人は作品の内容も似通っているのか」と思う方もいるかもしれませんが、実はこれが正反対とは言わないまでも完全に別物なんですよね。小川先生はストーリーライン上に作品のテーマを隠すようにじっとりと緻密に散りばめていくのが非常に上手いのですが、一方のあらた先生はラブコメでドカドカ話を盛り上げつつもキャラクターの関係をきっちり描き上げるのが上手で、得意分野がまるで違います。やや乱暴な言い方をすれば、小川先生はシリアス寄り、あらた先生はコメディ寄りの作家気質なのです。

小川先生が『魚の見る夢』といった百合漫画を描きつつもゲッサンという少年漫画雑誌を商業作家としての土俵にしたのに対し、あらた先生は百合漫画に傾倒する道を選び、『とどのつまり有頂天』という百合漫画を現在も連載しています。そんなあらた先生ですが、『壊れていてもかまいません』というSFボーイミーツガール漫画を実は描いていたことがあります。

『壊れていてもかまいません』は、好きな相手を食べてしまう「食恋欲」を持つ宇宙人の女の子と、その女の子にお弁当を振る舞ってあげた男の子の恋愛を描いたラブコメ漫画です。私がこの作品について個人的に注目していたのは、

「宇宙人の女の子と地球人の男の子の恋愛を描くSFボーイミーツガール漫画」

を、あらた先生がぼっち侵略の後を追うように描き始めたという事実でした。そうでなくてもあらた先生と小川先生の親交は上記の通りですから、どうしてもあらた先生に対する小川先生の影響力を想起せずにはいられません。本作は残念ながら全3巻で完結してしまいましたが、あらた先生がSFボーイミーツガール作品を描いたということ、そしてその内容面における小川先生の影響という二つの側面において、今なお私の記憶に強く残る作品となっています。

それらを踏まえてもう一度『いつか、君を』を読むと、この読み切りこそ、小川先生なりの『壊れていてもかまいません』へのアンサーだったのではないか、そう思わずにはいられないのです。

『壊れていてもかまいません』は、最初こそ主人公とヒロインのSFボーイミーツガールとして描かれていましたが、中盤からは百合漫画としての側面もかなり強い作品になっていきました。これはあらた先生の作家性が発露した結果であり(あらた先生自身が言及したツイートがある)、ある意味ぼっち侵略の影響を超えていく形であらた先生の作家性が作品を改めて支配し直していったとも考えられます。

『いつか、君を』は、小川先生があらた先生の助けを得て作り上げたヒロインを動かし、あらた先生の得意分野であったラブコメを描こうとした作品でした。『壊れていてもかまいません』が「小川先生の影響を受けつつもSFボーイミーツガールになりきれなかった作品」であるなら、『いつか、君を』は「あらた先生の影響を受けつつもラブコメになりきれなかった作品」ということになります。

そしてこの解釈を当てはめたとき、『いつか、君を』はある種の自己言及性を持ち始めます。乙華がどれほど五島の剣道に打ち勝ちたいと鍛錬を積んでも、当の五島自身はその剣道をあっさりと捨て去ってしまう。五島がどれほど乙華に惹かれようとも、乙華の打倒五島という目標を揺るがすことができない。互いが互いに惹かれるものを理解しつつも、各々の在り方を超えてそれらを受け止めることができないというこの状況こそ、小川先生とあらた先生の関係性をそのままに描き出したものだったのかもしれません。そう考えると、私はこの解釈を単なる妄想として片付けることがどうしてもできなくなってしまうのです。

小川先生とあらた先生が、商業作家として互いの作品を改めて評し合ったときに何が起こるのか。ある意味で邪な願望だとは思いますが、私はそれがどうしても見たくてたまりません。互いがキャリアを積み重ねていく中で、その瞬間がやって来ることは果たしてあるのでしょうか。個人的には心待ちにしたいところです。

 

平成編はここまで。明日は令和編として『すぎれば尊し』を見ていきます。

ではでは。

※令和編を投稿しました。下記のリンクよりお読みください。

thursdayman.hatenablog.com