ぼっちQ&A!~小川麻衣子作品感想ブログ~

『ひとりぼっちの地球侵略』や『魚の見る夢』等、漫画家の小川麻衣子先生の作品について感想を綴ったブログです。

TVアニメ版『血界戦線』と『ひとりぼっちの地球侵略』の共通点に関する話。-パーツ化されたオマージュとその意図-

<注意:この記事は28000文字弱もあってとても長いです。すいません>

TVアニメ『血界戦線』が無事最終回を迎えましたね。

良かったです。

というわけで、TVアニメ版『血界戦線』と『ひとりぼっちの地球侵略』は大体同じことをやろうとした作品であるという話をしていきましょう。

 

・TVアニメ版『血界戦線』は何をしようとしていたのか?

 

まずはこちらから書いていくのですが……実のところ、これに関してはもう大体の人がブログで色々書かれているんですよね。なのでその、私が書くよりそちらをご覧頂く方が良いかもしれません。

amberfeb.hatenablog.com

例えばこちらのねりまさんの記事では、このように書かれています。

クラウスに手を引かれて救われた少年が、今度は誰かを引き上げる。希望を示されてきた彼が、今度は誰かに希望を示す。そんな役割の反転が高らかに訪れるクライマックス。それはある意味で、レオナルド・ウォッチが真にライブラの一員たりえていることを雄弁に語る。呪いにがんじがらめにされ足踏みしていた少年の姿はいまやなく、一人のヒーローがそこにいる。

 かつて神々の義眼の取引を前にして逃げることしかできなかったレオが、一人のヒーローとしてブラックとホワイトを救う、絶望ばかりが眼前に広がっていてもあくまで希望の道を歩む物語なのだとねりまさんは書いています。私も同意見です。

hisoka02.hatenablog.com

基本的に血界戦線の最終回は特に手紙の最後の一行、「これは僕と、僕に希望を示してくれた、ある人たちの物語」に関係が深いと思います。血界戦線オリジナル要素の骨格は、

 

- ライブラメンバーによって希望を示されたレオが、
今度はホワイトやブラックに希望を示す物語 -

 

それがオリジナル要素の基本線で、また作者のやりたかった事のメインではないか、と思いました。

ひそかさんの最終回の記事でもこのように書かれています。ひそかさんの記事の場合は作者を松本理恵監督と指名した上でこう説明されていますが、実際雑誌やラジオでもブラックやホワイトを初めとするアニメオリジナル要素は松本監督の意向が強く反映されているという話が出てきますし、これもやはり同意しています。

 

その上で、松本監督がアニメでやっているのはそれだけではない、というのがここからしていく私の話です。他の方の内容を否定するのではなく、足す形で書くことになるので予めご了承ください。

 

と、言いつつまた他の方のブログの引用です。すいません、これで最後なので……。

nuryouguda.hatenablog.com

魔王である一面を隠した兄が、妹と仲の良い主人公とガソリン車に乗って帰宅するの、実質ウテナ30話。
うわっ。これはウテナだわー。
絶望王=ディオス
ブラック=鳳暁生
ホワイト=アンシー
だわー。
妹と主人公の中が親密になるのを利用する魔王とか実質ウテナ。魔王がその野望の片鱗を見せて主人公をロックオンするので、実質ウテナ30話。兄妹はデートしないって言うのが実にウテナ30話。
ただ、レオナルド・ウォッチは天上ウテナと違って妹がいるんですけど。どうなるんですかね。あと、アンシーみたいにメガネなのはブラックの方なんだが。

グダちんさんによる血界戦線7話は実質ウテナである!という話がたっぷり展開されています。

ちなみに7話を観た当時の私は、こおろぎさとみさん演じるアリギュラ(影絵少女B子)が乗ってるデカイ車(永遠があるという城)が取り巻き(ベルゼブルカー)を倒された末クラウス達(ウテナカー)の活躍によりバラバラにされてしまったので、「これ、アドゥレセンス黙示録のオマージュでは?」と思ったものでした。この作品にも薔薇が出てきますし、松本監督は『少女革命ウテナ』を意識して作品作っているのではないかと考えたわけです。

そして月日が流れ、最終回を観たとき、私は思わず叫んでいました。

「これエヴァじゃん!!!」

TVアニメ版『血界戦線』最終回は、『少女革命ウテナ』に続いて『新世紀エヴァンゲリオン』(及び『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』)のオマージュと思われる演出が多数あったのです。これから具体的に説明していきましょう。

 

まず、冒頭。セントアラニアド中央病院内廃墓地の地下でレオナルドの神々の義眼を利用し絶望王が結界を破壊したのですが、なんというか、描かれ方がヱヴァQですね。ヱヴァQの作中でセントラルドグマ(セントアラニアドがセントラルをもじった言葉なのがもう面白い)地下深くにエヴァ13号機が降りていくと、そこには無数の髑髏が敷き詰められた空間でした。ほぼ、あれと似た状況ですね。物語の途中までシンジくんが首輪を付けられてたようにレオには眼鏡と手錠が付けられてますし、都合よく渚カヲルならぬ堕落王(CV石田彰さん)がいますし、ヱヴァQのオマージュと思われる演出が沢山あります。

次に絶望王。フェムトにwatchmanと称され、ローマから大崩落まで傍観者でいた彼は映像では青い炎で表現されています。そう、エヴァのOPの冒頭や19話「男の戦い」で初号機が覚醒する際に登場したあの青い炎そっくりなのです。新世紀エヴァンゲリオンにおいてあの青い炎が何を意味するものなのか、という話には諸説ありますが、少なくとも絶望王が青い炎で表現されているのはここもエヴァを意識してのものでしょう(丁度隣でフェムトが解説しているのがまた何とも言えない)。

そこから、レオがフェムトのゲームを断ってセントアラニアド中央病院内廃墓地から階段を昇って抜け出すと、絶望王のいたセントアラニアド中央病院の聖堂はいつの間にか病院から切り離され天高くそびえる塔となって廃墓地から遠く離れた場所にあり、街の建物の破片が無数に空を飛びかい、いくつかは円を描くように聖堂の上で回っています。地獄のような光景ですが、これもヱヴァQでフォースインパクトが始まるシーンに似せた状況になっています。13号機が覚醒しセントラルドグマから支柱を破壊しつつ天高く上昇すると共に、巨大な柱が地下から出現しました。その周囲には血界戦線の第二次崩落と同じように砕かれた地面の破片が周囲を囲むように飛んでいます。そしてガフの扉も現れますが、これも先に書いた絶望王が築いた塔の上を回る破片の円と似ています。フォースインパクトも相当に絶望的な状況でしたが、レオが廃墓地から出てきたときに目にした光景もそれを模した破滅的なものだったと言えるでしょう。

 

さて、探せば他にも幾つか見つかるかもしれませんが、取り敢えずここで止めておくとして、ではこのオマージュを通して松本理恵監督は何をしようとしたのか? これについて考えていきたいと思います。

この前に登場した少女革命ウテナのオマージュに関しては、グダちんさんのブログの言及も読む限り恐らく作品の内容をそのままお話に取り込むつもりだったのだろうと考えられます。ブラックやホワイト、レオの成長を描くピルドゥングスロマンであると言えますからね。では、新世紀エヴァンゲリオンに関してもそうなのか、というと私はそうではないと考えます。

新世紀エヴァンゲリオン』の最終回や旧劇場版でもそうですが、基本的に問われているのは「自分はここにいてもいいのか?」ということです。自分自身やそれを取り巻く世界に絶望する中で、それでも希望をもてるのか、ここに自分として立っていていいのか、作品の主張は大まかにそこに集約されていきます。

対して『血界戦線』は、「君はまだそこに立っている。なら次は前に進めばいい」ということをずっと訴えている作品なのです。これ自体は内藤先生の原作の頃から変わりません。『新世紀エヴァンゲリオン』のように、外部から内部へと敵が襲ってくるのではなく、異界と現世(絶望と希望)が混ざり合ったヘルサレムズ・ロットだから生まれ得た価値観。何度挫折しても折れない心、少しでも最善を諦めない精神、常に前進しようとする姿勢。クラウスがそれを示し、ライブラの仲間が続き、レオが少しずつ身に付けようと進んでいく物語が『血界戦線』なのです。

これらは別々の価値観、別の考え方であり、またそれぞれのクリエイターが別個に導き出したものです。しかしTVアニメ版『血界戦線』においては、松本理恵監督はオリジナル部分のブラックとホワイト周辺にエヴァを想起させる設定を散りばめることで、『血界戦線』を『新世紀エヴァンゲリオン』、または『ヱヴァンゲリオン新劇場版:Q』への監督なりのアンサーとしたのです。

それを象徴するシーンがTVアニメ版『血界戦線』最終回のラストにあります。

君が新しい同志か、ようこそライブラへ。

逆光の中、ライブラのメンバーが影になって良く見えない部屋の中でクラウスがそう言います。このシーン、よく考えると不思議でもあります。この台詞をクラウスは誰に向かって投げかけているのでしょう?カメラはクラウスが言葉を投げかけたであろう人物からの一人称視点で、誰なのかはっきりしません。レオナルドは既にメンバー入りしてますし、この最終回でクラウスの言葉を受け継いでホワイトに投げかけたことも踏まえる一山超えたから改めて、というのも変な話です。もしレオであるなら、彼が仲間になった人物立ちを逆光ではなくちゃんと描いてあげてもいい筈です。では誰なのか。

京騒戯画』でもそうでしたが、松本監督はメタ表現を多用する作家です。TVアニメ版『京騒戯画』のOPで「つづきから」ではなく「はじめから」を選択することで物語を再構成して新たに一から始めることを示したり、TVアニメ版『血界戦線』でもカメラを覗き込んでいるかのような映像表現を多用していました。それに則るならば、このシーンでクラウスに言葉を投げかけられているのは視聴者での我々であると言えるでしょう。この作品を通して描いてきた価値観を視聴者の我々にも受け継いでほしいという、監督なりのメッセージなのです。

そう考えるとその後に依り代を変えた絶望王らしき人物がゲームの象徴であるコインを拾い上げてヘルサレムズ・ロットの街に消えていくシーンもある程度説明がつきます。あのシーンはそれを追ったカメラの映像が途絶えるという形で終わります。この映像を観ているのは勿論私達視聴者だけです。つまりこれもまた「絶望は決して消えてはおらず、我々の隣にある」というメッセージなのです。だからこそ希望を目指して進む必要があるという表現と考えられます。

さて、これに似た表現をまたTVアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』最終回もやっています。「そして、全ての子供達に ありがとう」というアレですね。そう、これもまた松本監督なりの一つのアンサーなのです。言いたいことは先ほど書いたことと変わりないので省きますが、最後の最後まで徹底して『血界戦線』の精神を以て『新世紀エヴァンゲリオン』への答えとする、それが松本監督がTVアニメ版『血界戦線』の中で行ったことだったのです。

 

・『ひとりぼっちの地球侵略』に施されたオマージュとその意図:その1.『少女革命ウテナ』と『新世紀エヴァンゲリオン

 

さて、ここまで4500文字近く使ってTVアニメ版『血界戦線』の話をしてきましたが、この記事はぼっち侵略と血界戦線の共通点について書いているので、これから『ひとりぼっちの地球侵略』の話をしていきます。TVアニメ版『血界戦線』より更に長くなる予定なのでご了承ください。

 

さて、章のタイトル通り、『ひとりぼっちの地球侵略』にもTVアニメ版『血界戦線』同様『少女革命ウテナ』及び『新世紀エヴァンゲリオン』のオマージュが多数存在します。まずは『少女革命ウテナ』のオマージュから説明していきます。

と、その前に、そもそも『ひとりぼっちの地球侵略』がどのような物語なのか。そこを押さえなければなりません。ので、

thursdayman.hatenablog.com

thursdayman.hatenablog.com

thursdayman.hatenablog.com

これらの記事(及び記事内でリンクされている各記事)をまずお読みください!!!

またかーい!! と思われた方、本当にすいません……しかし、同じ話を二度繰り返すのもくどいですし、ここを踏まえないと先にも進めないので、できればこちらの感想を読まれた後にこの先をお読み頂ければと思います。この先は上記の記事の内容、および『ひとりぼっちの地球侵略』1~8巻の内容に関するネタバレを含むので、それを了解した上でお読みください。では、今度こそ参りましょう。

 

1.『少女革命ウテナ』 

 

ではいよいよオマージュの話ですが、まずヒロインの大鳥希(以下親しみを込めて大鳥先輩)の「大鳥」という苗字が『少女革命ウテナ』の「鳳」からきています。漢字は違いますが苗字は読み方はおなじ「おおとり」です。もっとも、大鳥先輩の「大鳥」という苗字にはもうーつ別のオマージュがあるのでこれだけが苗字の理由というわけではありませんが、それはまた後述します。

 次に3巻第13話、および第14話で大鳥先輩が文化祭で着ていた衣装が天上ウテナと姫宮アンシーの衣装のオマージュになっています。スカートの丈や胸元のデザインはウテナ服のカラーリングや肩口辺りはアンシーの衣装をイメージしたものになっています。決め手になるの胸元の薔薇ですね。位置も一致しています。

またこれだけでなく、第14話でカエルの姿で再登場する敵宇宙人ユーシフト族にも注目しなければなりません。ユーシフト族はリベンジするために青箱高校に忍び込んできたわけですが、カエルの姿をしていて、かつリベンジしに来たという点が重要です。こういうキャラ、『少女革命ウテナ』にもいましたよね。そう、西園寺莢一です。彼は第1話でウテナに負けた後、すぐにリベンジマッチを挑みます(そして敗れます)。更に9話をはじめ、彼はしばしばカエルで表現されることがあります。それに似せたユーシフト族がウテナやアンシーをイメージさせた大鳥先輩を狙っているのです。最初に登場したときのユーシフト族の姿にはまた違うモデルがいるのですが、このときに限っては西園寺葵一をオマージュしたのだと考えてよいでしょう。

これらを踏まえて第14話の戦闘シーンを読むと、初めて広瀬くんと大鳥先輩がまともに協力しあって敵宇宙人を倒したこと、敵の核を切断するように破壊する描写があること、広瀬くんの心臓の力が少しずつ発揮され始めていることなど、大まかにウテナの戦闘シーンを踏襲したものになっていることが分かります。大鳥先輩達は胸の薔薇、正確に言えばそこに位置する心臓を狙われています。そうならないために、敵のユーシフト族を倒す。その際に、広瀬くんはディオスの力ならぬ心臓の力を利用するわけです。

続いて、3巻の表紙を見ていきましょう。一見普通に見えますが、これも眺めると中々面白いものになっています。

まず二人が走っている場所ですが、ここは舞台の松横市ではないようです。明らかに違う場所を自転車で走っているように見えるのですが、ではどこを走っているのか。そのヒントは、この漫画の作者である小川麻衣子先生が以前コミカライズされてた『とある飛行士の追憶』4巻にあります。正確には『とある飛行士の追憶』そのものではなく、巻末に載っている特別読み切り『ひとかどのまちかど』です。これは、地球人が住む「太田街」と異星人が住む「浮舟商店街」、その二つを繋ぐ「浮舟橋」の上に佇む喫茶店『てんや』に主人公の女子高生がアルバイトに行くという話です。お話の概要だけでも『ひとりぼっちの地球侵略』の原点になったお話と思えますが、実はこの「浮舟橋」と「浮舟商店街」の街並みが3巻で二人が自転車で走っている先の光景とよく似ているのです。この読み切りを書いた小川先生が当時自身のブログで「背景を描くのがとても楽しかった」と書かれていたのを踏まえると恐らくこの表紙でもう一回カラーでこの光景を描いてみたかったのかもしれません。

さて、それが判明した上で『少女革命ウテナ』の話に戻りますが、劇場版の『アドゥレセンス黙示録』では鳳学園を抜け出してウテナとアンシーが外の世界へと向かっていきます。この3巻の表紙を『ひとかどのまちかど』の情報を元に見直すと、広瀬くんが大鳥先輩を自転車に乗せて「太田街」という既知の場所から「浮舟橋」を渡って「浮舟商店街」という外の世界へと二人で向かおうとしている、とも解釈できます。

まだ大雑把ですのでもう少し細かく眺めてみましょう。広瀬くんや大鳥先輩の衣装含めて、この表紙にはぼっち侵略に関係するものは何一つないように思えます。しかし、実は作中に登場しているアイテムが二つだけ存在するのです。一つ目はリコが飛び出している開いたバスケット。大鳥先輩が抱えていますが、これは2巻9話で大鳥先輩がリコを広瀬くんの家に運び込むために使ったバスケットと同じものです。取っ手や錠のデザインから判別できます。もう一つは自転車のカゴに入った花の中に見える薔薇。そう、大鳥先輩が文化祭のときに身に付けた、ウテナの衣装のオマージュとしての薔薇がここにあるのです。恐らくこの二つの他に作中に登場したものはないでしょう。これに加え、広瀬くんが漕いでいる自転車の色は。『アドゥレセンス黙示録』でアンシーが運転したウテナカーもピンクでカラーリングされています。 

 広瀬くんと大鳥先輩が初めて二人一緒に表表紙に登場していること、先ほどの14話のシーンの説明の中で心臓の力(ディオスの力)を用いた広瀬くんがハンドルを握っていることを加味すると、大鳥先輩と広瀬くんが二人で力を合わせて外の世界に向かう、そういう構図を意識した絵になっているとも考えられるわけです。

4巻ではラストに登場するプラネタリウムがポイントになります。何故このラストで突然プラネタリウムを二人で眺めるシーンが出てきたのでしょう。大鳥先輩と広瀬くんの過去が語られた4巻は、広瀬くんが実は10年前に大鳥先輩の仲間になろうとしていたことが明かされ、広瀬くんが始めは嫌々ながら大鳥先輩の仲間になった今と繋がっていることが分かります。この広瀬くんの様を、成り行きでアンシーとエンゲージしたウテナが実は過去にアンシーを救うために王子様を目指したことに重ねるのなら、大鳥先輩が秘密基地から見つけたプラネタリウム少女革命ウテナ』第38話「世界の果て」に登場した理事長室のプラネタリウムのオマージュなのかもしれません。理事長室のプラネタリムがウテナの「僕が王子様になるってことだろ!」という叫びに呼応して光り出したように、おとぎ話の幻だけを見せるものではなかったのだとしたら、広瀬くんが仲間になると決めたことは成り行きだけのものではなかったことをあのプラネタリウムのオマージュは示したと言えるのでしょう。

 この他にも、例えば1巻第1話の「二人で一緒にこの星を征服しましょう!」付近の演出が『アドゥレセンス黙示録』のダンスシーンに似ていたりとか1巻第3話でもうすぐ雛が孵るメジロの巣を秘密基地の目印にしている下りがウテナの「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。我らが雛で、卵は世界だ。世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。世界の殻を破壊せよ。世界を革命するために」を思い出させたりもしましたが、取り敢えずはここまでにして、これらのオマージュの意図について考えていきたいと思います。

とは言っても、引用の意図自体はTVアニメ版『血界戦線』とそこまで異なるものではないと私は考えています。 ビルドゥングスロマンとしてある程度普遍的なテーマを描いてもみせた作品ですし、ぼっち侵略も広瀬くんや大鳥先輩の成長を丁寧に描いていますから、それを補強する形でオマージュしてみせたのでしょう。『少女革命ウテナ』がウテナやアンシーが大人になるまでを描いた作品であったように、『ひとりぼっちの地球侵略』は大鳥先輩が自らのアイデンティティを確立して前に進みだすまでを、自分の夢ばかり追いかけて背伸びをしていた広瀬くんが大人になるまでを描こうとしている作品であるとも言えます。

ただアニメの方の『少女革命ウテナ』とは着地点の異なる部分も存在するのですが、そこはTVアニメ版『血界戦線』同様『アドゥレセンス黙示録』もオマージュすることで解決してはいます。これに関してはこの後解説する『新世紀エヴァンゲリオン』のオマージュに関しても繋がってくるところなのでそこで会わせて説明します。

 

 2.『新世紀エヴァンゲリオン

 

では次に『新世紀エヴァンゲリオン』のオマージュについて解説していきます。『ひとりぼっちの地球侵略』内のオマージュでも特に数が多いですが、一つずつ紹介していきましょう。

まず、広瀬くんや大鳥先輩と協力し合っているリコデムス=ハーリアトロとアイラ・マシェフスキーの二人に注目します。この二人の共通点は、初登場回のサブタイトルに「使者」という単語が使われているということです。エヴァで「使者」と言えば渚カヲルの「最後のシシャ」のことであり、つまり彼が使徒であったことを意味しています。ぼっち侵略では「使者」という言葉を用いることで「このキャラクターはエヴァのオマージュが含まれている」ことを暗に示していると考えられるのです。それぞれ見ていきましょう。

まずリコから。彼が初めて喋った回でもある2巻第7話のサブタイトルは「幼き使者」。彼にまつわるエヴァのオマージュ部分は第8話「激昂」の戦闘シーンの終盤にあります。怒った大鳥先輩に追いつめられたリコは先輩の前でシールドを作りますがパンチ一発で破られてしまいます。すぐにシールドを作り直しますがまた破られ、作っては破られ……。この敵が張ったシールドを破る描写は、エヴァが使徒のATフィールドを中和して破壊していく描写を連想させるものになっています。近いものでは『ヱヴァンゲリオン新劇場版:破』の第10使徒が張った多層のATフィールドをマリの搭乗する弐号機が素手で破壊していくシーンが挙げられるでしょうか。

その後オーバーヒートして無力化されてしまったリコは、送電塔の上で大鳥先輩にシベリアの永久凍土深く凍結して埋められるか(第一使徒アダム)、活火山(松横市のモデルである熊本市から考えて恐らく阿蘇山を指す)にうっかり落っことすか(第8使徒サンダルフォン)迫られたりもしています。6巻で彼にも核があることが明らかになっていたりしますし、リコというキャラクターは使徒のオマージュが含まれていることが分かります。実はそれだけでもないのですが、それについては後述します。

次にアイラちゃん。彼女の初登場回は第10話「北方からの使者」。と言っても彼女は別に使徒というわけではありません(宇宙人の血を引いてはいますが)。アイラちゃんについて考える際に重要なのは、胸につけているクロスペンダントになります。このペンダント、アイラちゃんが眼の力を行使する際に度々用いているにも関わらず、エラメアの設定が大分明かされた8巻現在でも未だに具体的な言及がありません。ではこれは一体なんなのかと言えば、『新世紀エヴァンゲリオン』で葛城ミサトが身に付けていたクロスペンダントのオマージュだからなのでしょう。その後の彼女の在り方を見ていても、宇宙人の侵略の邪魔をする立場(NERV)にいたり、ビシャホラで敵宇宙人の様々なデータを集計・解析しつつ大鳥先輩達の戦闘をサポートする司令塔的な役回りを背負ったり(やっぱりNERV)、葛城ミサトを思わせるポジションに彼女が立っていることが分かるでしょう。

 

続いて他のオマージュ部分に注目していきましょう。最初は3巻第12話に登場したユーシフト族、その最初の姿になります。第二形態は西園寺莢一のオマージュでしたが、こちらの姿はまず頭部が悪魔のバフォメットをイメージしたものになっていることが確認できます。バフォメットはヤギの頭を持つ悪魔で額に星が刻まれているのですが、ユーシフト族のこちらの肉体もヤギの頭蓋骨に頭部に菱形の印をつけています。重要なのは胴体の方で、こちらは骨の外殻の下に黒い靄のような体と四肢が確認できます。頭部とは違って蜘蛛を思わせるデザインですが、この黒い体に骨の外殻というデザイン、新世紀エヴァンゲリオン』の第三使徒サキエルを思い出させるものがあります。特にあばら骨が特徴的です。

勿論これだけでサキエルを連想するのは難しいものがありますが、他にも「核」という概念がここの戦闘で初登場する(使徒も核を破壊すれば撃破できる)ことや、それを先端を外したモップを投げ槍のように投擲して破壊しようとする(ロンギヌスの槍)等、エヴァンゲリオンの戦闘を思わせる描写が多数見られます。2戦目がウテナのオマージュであったことも考えると、1回目の戦闘ではエヴァ、2回目の戦闘ではウテナをそれぞれオマージュする意図でユーシフト族は投入されたのでしょう。

 4巻では凪の回想部分にエヴァのオマージュが含まれています。第15話「雲上之茶会」の墓参りのシーンで凪が回想する形で10年前の出来事を語る場面です。回想自体巨大な羽が広がるコマなどセカンドインパクトを思わせる状況の中で、特に悍ましく描かれた大鳥先輩の姿が注目すべきポイントになります。これはヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のヱヴァ初号機の荒々しく禍々しい姿が描かれた宣伝ポスターの絵を模したものになっています。これは公式サイトのトップで見ることができるのでリンクを貼っておきましょう。

www.evangelion.co.jp

 5巻では第24話「夏の夜の大暴走」に登場した敵宇宙人にエヴァのオマージュが含まれています。というか、まるっきりエヴァ初号機ですね。角の生えた頭部、人形に殺される直前の鎧の下の素顔等エヴァ初号機を彷彿とさせる外見をしています。「夏の夜の大暴走」というサブタイトルも、一年中夏になってしまった日本の第三新東京市エヴァ初号機が暴走する様を連想させます。特に重要なのは、この次の第25話「新学期の到来」冒頭の大鳥先輩の回想。ここ、ゲッサン2014年4月号に掲載されていた当時はカラーページだったのですが、そこではこの宇宙人の亡骸はなんと紫一色で描かれているのです。そう、エヴァ初号機のカラーリングと同じ。車の形状になって松横市を走る姿は小川先生が以前ゲッサンの巻末コメントで言及されていたバトルスキッパーをモチーフにした部分もあるのでしょうが、それ以外の部分をエヴァのオマージュとしていたことは確かでしょう。

 6巻におけるエヴァのオマージュは大きく分けて二つあります。一つ目は26話「大運動会!」でのお弁当シーン。こちらはヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』でシンジ達が日本海洋生態系保存研究機構でお弁当を食べるシーン等のオマージュになっています。大鳥先輩を綾波レイ、アイラちゃんをアスカになぞらえて読むと大分分かりやすいと思われます。広瀬くん(シンジ)が一番料理が上手なのはそうとして、アイラちゃんより大鳥先輩の方が料理が致命的に下手というのも何か綾波っぽさがあるシーンです綾波は包丁の使い方分かってませんでしたしね。ヱヴァ破ではシンジとゲンドウの食事会をレイが開こうとするものの使徒の襲撃でおじゃんになってしまいますが、こちらは運動会のお弁当という形で全員集まって食事にありつけています。それ故に広瀬くんがひどい目に遭っていますが……。

二つ目は28話「星めぐりの歌」でマーヤが大鳥先輩に見せた大鳥先輩似の少女が大勢いる部屋。まぁ、分かりやすく綾波レイのそれですね。『新世紀エヴァンゲリオン』23話「涙」での入れ物だけの綾波レイが無数に浮かんでいるシーンのオマージュなのでしょう。後の話でマーヤ達には大鳥先輩のような心臓がないことも分かっているので心臓のあるなしで彼女らの行く末が決まってしまったとも言え、それを綾波レイの状況になぞらえて語ることができるわけです。大鳥先輩を通して描写された綾波レイのオマージュでは他に2巻5話で登場した何もない空白の部屋(恐らくマンションの一室なのでしょう)があったりします。ただあちらは反対の詰め込み過ぎた秘密の部屋はアスカのそれを思わせるもので、先ほどのオマージュと合わせて考えると大鳥先輩にレイとアスカ両方のオマージュが含まれていたのが、アスカの方だけアイラちゃんに移動したという風に考えることもできます。まぁアイラちゃんは5巻で弟のアレクセイが来る筈が兄のヴァギトがやって来たりと当初のキャラクターからは変化してきた部分もありますし、それらとの兼ね合いなのでしょう。大鳥先輩も作品の途中まで正と負のような二面性を持ち合わせているのを強調されていたのが、マーヤという負の分身を得てからはそれが控えめになっているように感じられます。ぼっち侵略も3年間連載されていますし、その中でキャラクターが変化するのに合わせてオマージュの対象も変わっていったのでしょう。

 8巻でのエヴァのオマージュは割と分かりやすいです。第38話「小さくとも針は呑まれない」でヘントゥーリオから体を取り返した広瀬くんがそのままマーヤの空間をこじ開けて囚われていた大鳥先輩を助け出すシーン、こちらが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』で覚醒したエヴァ初号機に乗ったシンジが第10使徒に取り込まれた綾波レイを助け出すシーンのオマージュになっています。取り込まれるのが広瀬くんで空間に閉じ込められるのが大鳥先輩とヱヴァ破と比べてみるとそれぞれの立場がずらされていますが、何よりも絵の構図がオマージュであることを雄弁に語っている場面とも言えるでしょう。

 

さて、他にも幾つかそれらしいのはありますが、ここまでにしてこれら『新世紀エヴァンゲリオン』のオマージュの意図について考えていきましょう。

『ひとりぼっちの地球侵略』における各作品のオマージュは、基本的に物語の展開やキャラクターの心情に沿うように配置されています。それを読み解くことによって読者は物語やキャラクターをより確実に理解するための足掛かりとすることができるのです。

 例えば先述した3巻のユーシフト族の場合、初戦は第3使徒サキエルの姿を取っています。サキエル碇シンジエヴァ初号機に乗り込んで初めて闘う敵です。ぼっち侵略でも、この戦闘は広瀬くんがリコの手を借りて敵宇宙人との戦闘に初めて参加するシーンでもあり、サキエルのオマージュを用いることで広瀬くんが初めて敵と戦う場面であることを示唆しているのです。その後リベンジのためにカエルの人形を依り代として登場しますが、ここも先ほど述べた通り西園寺莢一のリベンジマッチと重ねてみると、構図が一致しています。リコやアイラちゃんの場合もエヴァのオマージュを通してそれぞれの立ち位置や在り方が暗に指し示されていることが分かるでしょう。

 

ここで、少しぼっち侵略のテーマに立ち返って考えてみましょう。大鳥先輩の使命は地球侵略をすることでしたが、彼女自身の望みはそれによって仲間(もっと純粋に言えば他人)を得ることでした。4巻と7巻と、2度オルベリオの滅亡を知らされた大鳥先輩はそのどちらでも人々の記憶から自らを消し、いなくなってしまおうとします。大鳥先輩にとってひとりぼっちであることは「ここにいる(生きている)意味のないこと」なのです。そこに広瀬くんが心臓に関する成り行きで仲間になり、彼と交流する中でオルベリオ人や地球に対する偏見が少しずつ取り払われ、星の王子さまで言う「暇つぶし」を通して本来は「心臓をもつ地球人」程度の存在だった広瀬くんをかけがえのない本当の仲間(他人)として認識していくようになるのが、現状の大鳥先輩の成長過程であるとも言えます。これは、例えばウテナを通して少しずつ成長していったアンシーであったり、エヴァのTVアニメ版最終回や旧劇等の中で「それでもここにいたい」という答えを出したシンジのそれに共通した精神性であると言えます。

それらを踏まえると、目立ってくるのが広瀬くんという主人公です。彼は祖父の珈琲屋を継ぐという極めて現実的な夢を持っていて、それを叶えるために高校生になった物語冒頭から努力を始めています。始めから自分の居場所を確立していて、そこから一歩ずつ前に進もうとしているキャラクターなのです。その姿勢は大鳥先輩と出会い、地球侵略や宇宙等広い世界に直面しても揺らぐことがありません。「ここから前に進む」という在り方を確固として保ち続けている主人公であると言えるでしょう。そして彼の存在は単にヒロインと主人公であるという以上の影響を大鳥先輩に与えています。何故なら「仲間(他人)という存在と共にここにいたい」という大鳥先輩と「祖父の珈琲屋を継ぐという夢に向かってここから前に進みたい」という広瀬くんの間には「居たい」「前に進みたい」というズレが発生しているからです。大鳥先輩が仲間である広瀬くんんと共にいたいと思うことは、同時に広瀬くんと共に未来に向かって前に進まなければならないことをも意味しているのです。そして大鳥先輩は少しずつその方向に歩み出しています。これは『少女革命ウテナ  アドゥレセンス黙示録』で大人になったウテナとアンシーが外の世界へ踏み出していったのと似ていますが、ぼっち侵略ではそれを松横市という場所に留まったまま行おうとしています。「ここにいたい」から「ここから前に進みたい」という価値観の転換をあくまでも現実の中で行う。これこそが『ひとりぼっちの地球侵略』が『ひとりぼっちの地球侵略』たる所以でもあるわけです。『少女革命ウテナ』や『新世紀エヴァンゲリオン』の価値観を大鳥先輩や世界観の中で受け継いだことを場面場面に沿ったオマージュを通して示しつつ、しかし広瀬くんという存在と彼と共に歩もうとする大鳥先輩の在り方によってその先を目指す。それが『ひとりぼっちの地球侵略』という作品の根幹を為しているのです。

 さて、この時点で既にTVアニメ版『血界戦線』と共通した部分を色々発見できますが、その前にぼっち侵略にはあと大きく2つの作品のオマージュが存在しますのでそちらを先に紹介していきたいと思います。これらもまたぼっち侵略という作品のテーマを強く補強するものとして存在しており、それを解き明かすことでより作品の輪郭を強く捉えることが可能になるからです。では参りましょう。

 

・『ひとりぼっちの地球侵略』に施されたオマージュとその意図:その2.『ウルトラマンレオ』と『ドラえもん のび太と鉄人兵団

 

タイトルの通り、ここではぼっち侵略内のウルトラマンレオ及びドラえもん のび太と鉄人兵団ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』も含む)のオマージュに関して説明していきます。まずは『ウルトラマンレオ』から説明していきます。

 

1.『ウルトラマンレオ

 

第一に、大鳥希の「大鳥」はウルトラマンレオの変身前の名前である「おおとりゲン」からきています。先ほど『少女革命ウテナ』のオマージュ説明の中で「大鳥」の苗字の由来はあと2つあると書きましたが、その二つ目がこれなのです。大鳥という苗字には、ウテナウルトラマンレオ、二つの作品のオマージュがやどっていると言えるでしょう。

それを踏まえて各オマージュを確認していきましょう。まず1巻第2話で登場したゴズ星系の宇宙人ですが、こちらはウルトラマンレオが物語の終盤に戦った円盤生物をイメージしたようなデザインになっています。円盤生物は悪魔の惑星ブラックスターから地球侵略のためにブラック司令によって送り込まれた怪獣です。円盤状の姿に変形することができるという特徴を持っているのですが、第2話で大鳥先輩と戦闘を繰り広げた宇宙人も円盤状の姿をとっています。 

2巻第8話では、大鳥先輩が鳥になって逃げるリコめがけて飛び蹴りを喰らわせています。注目するべきはこの飛び蹴りのポーズで、これは2巻カバー裏にてボツ下書きがあるコマでもあります。この飛び蹴りの態勢はウルトラマンレオの必殺技の一つ「レオキック」の曲げる腕が反対になったものです。左足の位置や腕の曲げ方、体全体の態勢がポイントになります。ボツ下書きのポーズは体を横に捻りながら放つ、ライダーキックに近いポーズになっています。

4巻と5巻では大鳥先輩の故郷であるオルベリオが既に滅びてしまっていたことと、一人大鳥先輩の妹(姉?)にあたるマーヤが生きていたことが明らかになります。これは、ウルトラマンレオの故郷である獅子座L77星がマグマ星人によって滅ぼされていることや、アストラというレオの弟がもう一人の生き残りとして地球に現れることとピッタリ符合します。オルベリオの滅亡の原因自体は完全には明らかにはなっていませんが、大鳥先輩を取り巻く状況に関してはウルトラマンレオのそれとほぼ変わっていないと言って良いでしょう。

7巻第32話では、オルベリオの真実や10年前の出来事をアイラのおばあちゃんを通して知った大鳥先輩に広瀬くんが「俺はこの星が先輩の新しい故郷になればいいなって思う」と言うシーンがあります。アイラのおばあちゃんが示した生き方等も通して大鳥先輩もそうなることを望んでいくわけですが、この”地球が新しい故郷になる”という考えがウルトラマンレオでも同じように使われていて、おおとりゲンが「地球はぼくの第二の故郷だ」と発言するシーンが幾つかあるのです。恐らくはこの台詞を広瀬くんから大鳥先輩に伝える形式にしたのが上記のシーンなのでしょう。そしてこのシーンは、『ひとりぼっちの地球侵略』に『ウルトラマンレオ』のオマージュが用いられている大きな理由を示すものにもなっているのです。

 

では、これらウルトラマンレオのオマージュがぼっち侵略で用いられている意図について考えていきましょう。と言っても、7巻の広瀬くんの台詞がそのほとんどを説明しています。つまり大鳥先輩が地球を第二の故郷として地球に居続けることになる、それを示すためにウルトラマンレオのオマージュは使われているのです。

ここでちょっと、私が以前書いたブログの文章を読み直してみましょう。

thursdayman.hatenablog.com

 

地球侵略が成功するにせよ失敗するにせよ、大鳥先輩は地球に残るしかないのではないかな、と私は思っています。

先に書いたように港を閉じてしまうしか問題解決の方法がないのもありますが、大鳥先輩というキャラクターの設定にも理由はあります。

ここでちょっと、ウルトラマンを例にして考えてみましょう。昭和シリーズのウルトラマンはそのほとんどが故郷に帰ってしまいます。これは何故なのでしょうか。

1.故郷がある。

そもそも故郷がありそこに自分を知っている人がいるなら帰るのは自然の成り行きです。

2.銀色のデカイ巨人なので明らかに人類社会に馴染めない。

我々の日常生活にはあまりにも非現実過ぎて、自然と排除されてしまいます。

3.地球を守り続けるという考え方はいつか失敗する可能性を常にもつ。

「自分が失敗するまで、力尽きるまで」という前提の上に成り立っているのでそりゃあいつか失敗する時は必ず来ます。敗北したら地球を去るということもあり得るでしょう。ずっと成功しなければならないタスクはいつかどこかで失敗する可能性を確実に持ち続けるのです。

 

大体ざっとこんな感じです。宇宙人というのは常に何かしら排除される理由が付き纏うわけです。では、大鳥先輩の場合はと言うと、実はこれが案外抜け道を通っているのです。

1.について:故郷があれば人はそこに帰る。当然の成り行きです。しかし、もしもそこに自分が知っている人が誰一人いないとしたらどうでしょう。大鳥先輩はオルベリオでは機械によって育てられ、誰とも会わせてもらえなかったと話しています。すると大鳥先輩にとってオルベリオは故郷ではあっても自分を待つ知人はいないということになります。それに88Pのモノローグで彼女は死ぬまで一人で任務をこなすということが示唆されています。地球侵略がどのような性質のものであるかはまだ分かりませんが、大鳥先輩が港の管理者でもあることを踏まえると、彼女はもう二度とオルベリオの地を踏むことはない可能性の方が高いでしょう。例え帰っても「自分の知る」仲間もいないのですから。

2.について:どっからどう見ても外見は地球人です。本当にありがとうございました。

3.について:地球侵略が成功するまで頑張るのが任務である性質上、成功するまではずっと地球に居続けることになります。そういう意味では地球を守るという任務よりも地球に居続ける可能性は自然と高くなります。いつか成功するまで挑戦し続けるというタスクは先の失敗が一度も許されないタスクよりも長持ちしやすいのです。

 

と、このようにオルベリオに帰るよりも地球に最後まで残ることになる可能性の方が設定上ずっと高いのです。オルベリオの地球侵略が地球や地球人をみやみに傷つけるような性質のものではないらしい以上、大鳥先輩はこの先地球で地球人と共に生きていかなければならなくなるでしょう。既に青箱高校という人間社会の一部に組み込まれていることからもそれは容易に想像できます。さて、そうなると取れる道は孤立か帰属かの二つです。彼女がどちらを選ぶのか。

その答えは実はもう出ています。そう、広瀬くんです。彼が彼女に対して「お前はもうひとりぼっちじゃないんだ!!」と叫んだあの瞬間にこの作品の方針はほぼ決定づけられています。あの一言によって大鳥先輩は孤独からは解放されているのです。地球人であり松横市という土地で生きていくことを目指している広瀬くんと共に歩むのなら、彼女もいずれはその流れに組み込まれ、それを少しずつ受け入れていくことでしょう。ぼっち侵略は「たった一人で育ち他人というものを知らないままに死ぬかもしれない任務に就いた宇宙人が、地球人との出会いを通して少しずつ他人や仲間といった概念を理解し成長していく物語」なのです。そして大鳥先輩の成長が広瀬くんによって裏付けられたものならば、彼女はきっと地球人と共に生きていける道を選べるようになることでしょう。

ウルトラマンを例えに大鳥先輩が地球に居残るかどうかの話をしています。元々広瀬くんが死にかけたから自分の心臓を分け与えたり、二人で地球を他の宇宙人から守ろうとしたりとウルトラマンっぽいという感想は以前からありました。その上で、実は昭和シリーズのウルトラマンの中でたった一人だけ最後まで地球に居続けるウルトラマンがいるのです。もうお分かりでしょうが、それがウルトラマンレオなのです。彼は最終回において他のウルトラマンのように地球から去ろうとはせず、地球が自らの本当の故郷になったと言い、その地球の素晴らしさを自分の目で確かめるために旅に出ます。そうして最後まで地球に居続けることができた唯一のウルトラマンなのです。

ウテナエヴァのオマージュの意図の説明の際に、ぼっち侵略は「ここにいたい」から「ここから前に進みたい」という価値観の転換をあくまでも現実の中で行う作品であると書きました。ここで重要なのは、まず大鳥先輩自身がしっかりとここにいたいと思えるようになることです。その解決を如何にスムーズに進めるか、その方法の一つとして小川先生は地球を第二の故郷としたウルトラマンレオのオマージュを用いたのです。これにより大鳥先輩が地球に居続けることを示唆し、広瀬くんにあの台詞を言わせることで彼女が前進するきっかけとしたのでしょう。

 

2.『ドラえもん のび太と鉄人兵団

 

さて、いよいよこの記事で紹介する最後のオマージュになりました。もう少しだけお付き合いください。恐らく、現在分かっている中でも『ひとりぼっちの地球侵略』の核心に最も近いオマージュだと考えられます。『ひとりぼっちの地球侵略』という作品のタイトルそのものにも深く関わってくるので、しっかり追っていきましょう。

まず、『ドラえもん のび太と鉄人兵団』に登場する主なゲストキャラクターに注目していきます。最初はやはりリルルでしょう。

リルルは鉄人兵団を地球に送り込むための工作兵としてメカトピアからジュドと共に地球に送り込まれた地球人の姿をしたロボットで、地球に鉄人兵団の侵略用の基地を建設しようとしていました。最初は祖国への忠誠心しかなかったものののび太達との交流の中で優しい心が芽生え、やがてメカトピアの方針に疑問を抱くようになります。最後は祖国メカトピアの成り立ちに関わる歴史をタイムマシンで変えることにより鉄人兵団の侵略を阻止するものの、歴史が改変されたことにより自らも消えてしまいます。

 大雑把な説明ですが、これだけを見てもリルルが大鳥先輩の原型となったキャラクターであることが分かると思います。オルベリオから地球侵略の先兵として派遣され、地球の出入り口である港を管理しようとするものの上手くいかず、諸々の事情で広瀬くんと仲間になり、その交流のなかで少しずつ成長していく。このように基本的な部分がリルルとかなり一致しています。大鳥先輩はリルルの在り方が強く投影されたヒロインなのです。

 次にジュド。彼はメカトピア地球侵略の前線基地を作るための土木工事用ロボットとしてリルルよりも一足先に球体状の頭脳部分だけ地球の北極に送り込まれましたが、偶然どこでもドアで北極に来ていたのび太が自分の他のパーツを日本に持っていってしまったため後を追うように日本に来てしまいます。その後体(巨大ロボット)の部分はのび太達にザンダクロスとして使われ、脳にあたるジュドはのび太の母に物置に入れられてしまいます。最終的にはドラえもんに改造されることでのび太達の仲間として行動するようになりました。

ぼっち侵略において、ジュドは頭脳の部分がリコの変身前の姿の元ネタとなっています。球形であり、とくにボウリングの球にあるような3つの黒点がリコの丸と三角合わせて3つのパーツからなる模様と一致します。巨大なロボットの体こそ持ちませんが、そこから大きな体に変身して闘うアイディア自体は恐らくザンダクロスから流用したものなのでしょう。

次に鉄人兵団をぼっち侵略の物語と照らし合わせてみましょう。最も強く反映されているのは4巻における10年前の回想です。ここの出来事は鉄人兵団のストーリーをある程度なぞったものになっています。大鳥先輩が地球侵略のために港を開こうと活動する部分がリルルと似ているということは先ほど書きましたが、ここでは「港」「入り込み鏡」「逆世界入り込みオイル」及びにそれよって作られた鏡面世界と同じ役割を果たしています。作中ではリルル達が地球人にばれず前線基地、つまり侵略の準備を進めるために利用されたり、のび太達が鉄人兵団に地球を侵略させないために罠を張って侵入させたりしていた鏡面世界を、秘密基地や港といった「出入り口の制限された空間」というアイディアとして改良したのでしょう。港を鏡面世界に言い換えて説明するなら、地球全体が鏡面世界のようなもので覆われ、松横市という港を通らなければ元の世界に入れない、そういう状況なのだと言えるでしょう。鉄人兵団が鏡面世界を破壊しつくした後カラクリに気付いて湖に殺到していった状況と、ぼっち侵略でゴズやキルシス、ヤフマナフが港を破壊して地球をどこからでも出入り可能にしようとした状況は重ね合わせて見ることができるのです。

 そして大鳥先輩が宇宙人を倒し切ったあと、魔法を使って松横市を復元し人々の記憶を消去した部分は、リルル達がタイムマシンでメカトピアの歴史を変えることによって鉄人兵団を消滅させたくだりと一致します。その10年後目を覚ました大鳥先輩は、ラストにもう一度のび太の前に姿を現したリルルのそれと考えることができるのです。

 

さて、ここまで私は『ドラえもん のび太と鉄人兵団』に関して言及してきましたが、この作品は2011年に『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』としてリメイクされています。実は、ぼっち侵略は新旧両方の鉄人兵団をオマージュの際に参考にしていると私は考えています。

その理由は大きく分けて二つ。一つは新・鉄人兵団のリルルがピッポを直す際やアムとイムのプログラムを書き換える際に使用した胸にある星型の部品です。それはリルルの心にあたるパーツで、博士がアムとイムのプログラムの書き換え中に亡くなってしまい、リルルがのび太達と交流する中で与えられた気持ちを書き換えに利用するという機転を利かせた際、胸から取り出してプログラムの書き換えに使用していました。この胸のパーツの設定が大鳥先輩の心臓のアイディアに利用されているのです。例えばリルルが壊れたピッポの修理やアムとイムのプログラム書き換えの際に部品を渡したように、大鳥先輩は瀕死の広瀬くんに自らの心臓を移植しています。そのあと10年後まで生き残れた理由について、大鳥先輩はこのように説明しています。

「眠る前にいいことがあった気がするの。とても嬉しい言葉を誰かが言ってくれた…」

「私の胸にはもう本来の心臓はないけれど、代わりにその感触が残ってる。」

「それが胸を満たしてくれたから今日まで生きてこれたんだねえ。」

のび太達と交流する中で与えられた気持ちが入っている胸の部品をアムとイムに渡したリルルと、失くした心臓の代わりに広瀬くんから与えれられた言葉、その気持ちによって生きながらえた大鳥先輩。ここまで気持ちというものを形で捉えるという考え方は旧・鉄人兵団にはありませんでした。新・鉄人兵団ならではのものだと言えるでしょう。

二つ目は、新・鉄人兵団に登場するピッポというキャラクターです。ピッポはジュドの頭脳部分が「おはなしボックス」によってひよこ型ロボットに改造された姿で、旧・鉄人兵団のように頭脳まで改造はされず自分の意思で行動します。成り行きでのび太達と行動を共にしていましたが、やがて協力し合うようになり、当初は嫌がっていた「ピッポ」という名前も歴史改変で消える直前に本当は嬉しかったと告白して消滅しました。

このピッポのイメージを、ぼっち侵略のリコが強く受け継いでいるのです。元の球形の姿から可愛い姿に固定されてしまいますし、当初は成り行きで仕方が無く一緒にいた広瀬くん達と心を通わせてくところも似ています。更に言うなら、リコデムス=ハーリアトロという本名をリコに省略されたことを嫌がっているのも、ジュドがピッポという名前を嫌がったのと重なります。これもやはり旧・鉄人兵団だけではカバーできない部分なのです。リコというあだ名を感謝するシーンは8巻現在まだありませんが、もしかしたらこの先あるのかもしれませんね。

 

ぼっち侵略における鉄人兵団のオマージュについてもほぼ書き終えました。そろそろ今まで同様これらのオマージュの意図に進みたいところではあるのですが、その前に一つだけ、このオマージュによってある程度説明できる「なぜこの漫画のタイトルは『ひとりぼっちの地球侵略』というか?」ということについて触れておきたいと思います。

ぼっち侵略のタイトルについては、以前小川先生がこちらのインタビューで言及されています。

natalie.mu

──ちなみにタイトルの「ひとりぼっちの地球侵略」は、藤子不二雄先生の「ひとりぼっちの宇宙戦争」から?

そうです。私、「ひとりぼっちの宇宙戦争」っていうタイトルがすごく好きで。なんというか、寂しいSFが子どものころから大好きなんです。

──寂しいSF?

例えば「火の鳥」の未来編とか。ロックや猿田博士は放射能で死んでしまうけど、主人公のマサトだけが、火の鳥の加護で生き延びてぼっちになる。いちばん記憶に残っているシーンは、マサトが猿田博士を看取るシーンです。子どものころは寂しすぎて嫌だったんですけど、大人になってもいやにあの光景が脳裏に焼き付いていて、好きだったんだなと思います。

以上の通り、『ひとりぼっちの地球侵略』のタイトルの由来は『ひとりぼっちの宇宙戦争』から来ています。寂しいSFが好きだから、この作品をタイトルにもってきた。頷ける話です。でも、本当にそれだけなんでしょうか。

今までこうして見てきましたが、ぼっち侵略内で『ひとりぼっちの宇宙戦争』のオマージュだとはっきり分かるシーンはありませんし、『ひとりぼっちの宇宙戦争』の作品の価値観が反映されている部分も他の作品に比べればほとんど見つけることができません。これほどまで多くの作品を愛好しオマージュしている小川先生が、タイトルに据えた作品を作中で反映させないというのはやや不自然です。なぜなのでしょう。

そのヒントは『ドラえもん のび太と鉄人兵団』にあります。先に結論から書いてしまえば、『ひとりぼっちの地球侵略』というタイトルは最初に『ひとりぼっちの宇宙戦争』ありきで生まれたのではなく、まず『ドラえもん のび太と鉄人兵団』ありきで誕生したタイトルだと考えられるのです。

順番に考えていきましょう。まず、大鳥先輩がリルルでありリコがジュド(ピッポ)であるとしたとき、ジュドを見失い一人で地球にやってきたリルルは”ひとりぼっちで地球を侵略しにきた” 女の子として見ることができます。のび太の側ではなく、リルルというキャラクターに強くスポットを当てることでタイトルの状況にグッと近づけることができます。そして『ドラえもん のび太と鉄人兵団』は『ひとりぼっちの宇宙戦争』と同じ藤子不二雄先生のSF作品です。

次に、『ひとりぼっちの宇宙戦争』と『ドラえもん のび太と鉄人兵団』それぞれの侵略者の目的に注目してみましょう。鉄人兵団のメカトピアは地球人を自らの奴隷にするべく侵略をしようとしていました。『ひとりぼっちの宇宙戦争』の宇宙人は主人公とそのコピーであるロボットとの決闘の勝敗によって、地球人を食糧やペット、奴隷にすることになると話していました。そう、奴隷にするという一点に置いて、この2作品の地球侵略の目的は一致しているのです。これらの情報を踏まえると、『ひとりぼっちの地球侵略』というタイトルを付けた理由がおおよそ見えてきます。

一応、こちらのインタビューも踏まえて仮説を立ててみます。

第63回 小川麻衣子先生インタビュー【ひとりぼっちの地球侵略/とある飛空士への追憶etc……】 | 東京マンガラボ

『ぼっち侵略』に関しては結末が一切決まっていません。『飛空士』以降は描きたいことが何もなくて、オリジナルを考える能力が欠如していたんですね。そういった中で自分には何があるだろう、と考えた結果、昔出したネームに女の子が宇宙人で、彼女が「私と世界征服しましょう」って言う話があったからそれを掘り返して提案しました。

恐らくこの元々のアイディア自体は『ドラえもん のび太と鉄人兵団』から考え出したものだったのでしょう。それをタイトルにする際、小川先生はひとりぼっちというワードが使われていて、かつ地球侵略の目的が一致していて同じ藤子不二雄SF作品である『ひとりぼっちの宇宙戦争』を思い出された。そしてそのタイトルをオマージュした『ひとりぼっちの地球侵略』というタイトルにすることによって、『ドラえもん のび太と鉄人兵団』の作品のテーマをある程度反映させつつ、『ひとりぼっちの宇宙戦争』を前面に押し出すことでそれを間接的なものにされようとしたのではないでしょうか。『ひとりぼっちの地球侵略』というタイトルは、大鳥先輩の状況を表現しつつ作品のオマージュにも繋がっている名前だと言えるでしょう。

 

では、ぼっち侵略内における鉄人兵団のオマージュの意図について考えていきましょう。先ほどのウルトラマンレオのオマージュに関しては、「大鳥先輩が地球を第二の故郷として居続けられるようになることの示唆」として用いられていると書きましたが、鉄人兵団のオマージュの場合は、リルルに重ね合わせて「大鳥先輩が地球人に対する偏見を少しずつ直し、優しい心を持てるようになる」ことを示唆するために主に導入されたと考えられます。ぼっち侵略7巻までの大鳥先輩の成長を追っていくと、彼女が口ではそう言わなくともオルベリオ人と比べて地球人を下に見ていることが分かります。もう一度小川先生のインタビューから該当箇所を引用してきましょう。

natalie.mu

──そうやって浮かせることで、ぼっち感が強調されるんでしょうか。

そうですね。ただ先輩はひとりで地球にやってくるという、もっと宇宙規模の壮大なぼっちになってしまったので、今さらクラスメイトの中でぼっちになったところで規模が小さいかなと。

──もっと壮大な、宇宙的ぼっちに。

先輩みたいな宇宙人からしたら、地球人は虫けらというか、ゴミみたいなものなんです。対等ではない。そこから先輩がクラスメイトに対してどう対応するかと考えてみると、まあ先輩は品格のある人なので、彼女たちをバカにしたりはしないんですよ。かといって完全に馴染めているわけでもない。

──ちょっと距離感がある。

例えば、小学生たちが遊んでいる中に、大学生が小学生のふりして入っても馴染めないじゃないですか。そういう感じです。

このインタビューがナタリーで公開されたときは丁度3巻が発売された頃でしたが、3巻で大鳥先輩は唯一オルベリオの心臓を持っているから仲間になれている広瀬くんと一緒にいることができず、地球人と共に過ごさないといけない生活に強いストレスを覚えていました。そんな大鳥先輩でしたが、広瀬くんと共に過ごすうちにそうした地球人への先入観を解消させていったためか6巻の運動会ではかなり自然と地球人の中に溶け込めていました。そして7巻で地球を第二の故郷としたいと言ったあの瞬間に大体の偏見はほぼ完全に取り除かれたのでしょう。地球にいたいということは、地球人と共に過ごしていくということと同義なのです。両方を受け入れなければ叶わない願いである以上、大鳥先輩はウルトラマンレオと鉄人兵団、両方のオマージュを導入される必要があったのです。「ここにいたい」から「ここから前に進む」への転換をどう具体的に行っていくのか。その答えを指し示すためにウルトラマンレオと鉄人兵団は用いられたのです。その意味において、この2作品のオマージュは大鳥先輩というキャラクターの成長に大きく関与していると言えるでしょう。

またウテナエヴァのオマージュと比べると作品の設定への影響が比較的大きいのもこれら2作品の特徴です。滅んだオルベリオ等に関してはウルトラマンレオが、リコや10年前の出来事、港の設定には鉄人兵団の影響が見られます。エヴァウテナといった作品がぼっち侵略のテーマを中心とした内部に影響を与えた作品であったのに対し、ウルトラマンレオと鉄人兵団はぼっち侵略という作品の物語や設定といった外部にも影響を与えていった作品なのです。

 

・TVアニメ版『血界戦線』と『ひとりぼっちの地球侵略』の共通点とは? 

 

ここまでTVアニメ版『血界戦線』に約4000文字、『ひとりぼっちの地球侵略』に約20000文字ほどかけてそれぞれの作品に用いられたオマージュとその意図について説明してきました。かなり文字数を使ってしまいましたが、ではいよいよこの記事の本題であるこれら2作品の共通点について考えていきましょう。

 

・「先に進む」という姿勢を如何にして示すか。

 

 TVアニメ版『血界戦線』は「君はまだそこに立っている。なら次は前に進めばいい」というメッセージをエヴァへのアンサーという形で示した作品であり、クラウス達が示したその道をレオが進んでいく物語でした。その姿勢そのものは原作に既にあったものであり、エヴァとの関係性は薄いものでした。内藤先生の前作である『トライガンマキシマム』の先を目指そうとしている、と考えた方がよりしっくり来るでしょう。松本監督はそれを承知の上でそこにブラックとホワイトの物語を加え、そこにエヴァのオマージュを投入することでその姿勢をエヴァへのアンサーという文脈に乗せ直したのです。

『ひとりぼっちの地球侵略』もエヴァウテナのオマージュを同様に用いています。大鳥先輩の在り方や、最近では凪の「パーフェクト・ワールド」という考え方にそれは強く反映され、TVアニメ版『血界戦線』のブラックやホワイトと同じ機能を果たしています。一方で『ひとりぼっちの地球侵略』はその先へ進むという姿勢を示すために『ウルトラマンレオ』や『ドラえもん のび太と鉄人兵団』等の作品のオマージュを更に用いています。これはTVアニメ版『血界戦線』が原作『血界戦線』のテーマを使うことでスムーズに先へ進むという姿勢を示せたのに対し、ぼっち侵略では別に先に進む姿勢をしっかりと示す必要があったからです。ぼっち侵略の基本はボーイミーツガールであり、広瀬くんは大鳥先輩と共に歩んでいく存在である以上クラウスのように道を示す成熟した存在であるわけにはいきません。そのため新たに『ウルトラマンレオ』や『ドラえもん のび太と鉄人兵団』(『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録も一部含む』)等のオマージュを用いてそれを示さなければならなかったのです。

TVアニメ『血界戦線』は原作のストーリーに少しずつ混ぜる形でブラックとホワイトの物語を挿入し、終盤2話で一気にブラックとホワイトのオリジナルストーリーを前面に押し出す、という形を取っています。ここで原作『血界戦線』にもあったストーリーとTVアニメ版『血界戦線』でのブラックとホワイトのオリジナルストーリーとに物語を分けてみると、最終回でレオがホワイトに向かって以前クラウスに投げかけられたあの台詞を全力で叫ぶ場面は、「原作『血界戦線』のクラウスの台詞をブラックとホワイトの物語の中にレオが叫ぶという形で”引用”させ、その在り方を示すことによって二人を希望の道へと歩ませる」効果を果たしていると考えられます。『ひとりぼっちの地球侵略』における『ウルトラマンレオ』や『ドラえもん のび太と鉄人兵団』のオマージュもこれと同じ効果を発揮してるのです。

 

・凪と岬一の価値観の対立、光と影、ブラックとホワイトという構図。

 

ぼっち侵略において、物語の途中で大鳥先輩の負の部分がマーヤに移る形である程度オミットされたという話はエヴァのオマージュの部分で軽く触れましたが、ぼっち侵略は現在「大鳥先輩&広瀬くん」VS「マーヤ&凪」という構図が明確になっています。特に7巻で凪が10年前に体感した「パーフェクト・ワールド」は、「現実を幸せに向かって地道に進む」広瀬くんに対して「絶望に囲まれる中で今という一瞬だけを完全なものにして終わりにする」凪という価値観の対立を明確なものにしました。大雑把に希望と絶望という言い方に変えてしまうにはそれぞれ野暮な考え方ですが、これをTVアニメ版『血界戦線』と比べてみるとまた共通点が見えてきます。

「3年前も、ここで崩落にあったよ。美しかった。己を構成する価値観や概念、全ての感情が覆されるような眺めだった。この先に望みがあると、確信させられる高揚があった。夢を見たんだ」

これは絶望王の台詞ですが、この内容はぼっち侵略で凪が10年前に抱いた感情とほぼ一致しています。その絶望王の在り方を受け入れたブラックは凪と共通した立場のキャラクターだと言えるでしょう。もっとも血界戦線は「何度絶望を突きつけられて折れようと立っている限りそれでも前には進める」というメッセージをもつ作品であるため、ホワイトもブラックも絶望、そして絶望王の前に希望を諦めて屈している場面があり、一概にブラックとホワイトを凪と岬一に当てはめるには難しいものがあります。しかし希望と絶望、光と影という対立はどちらの作品にも存在しているのです。

「少年少女。光と影。見た目は同じ……」

これはゲッサン2014年3月号に載っている『ひとりぼっちの地球侵略』5巻とゲッサン4月号(ぼっち侵略が表紙&巻頭カラー)の見開き宣伝広告の踊り文句です。ぼっち侵略2巻第5話「凪くん復活!!」の扉絵で広瀬くんと凪が向かい合って手を合わせている絵が使われていて、広瀬くんのいる右側のページは白地、凪のいる左側のページは黒地になっています。TVアニメ版『血界戦線』最終回でクラウスが希望をシャイニング、光と表現シーンもありましたが、兄弟という構図の中でこの2作品がよく似たテーマに取り組もうとしていたことが以上のことから分かります。絶望と希望の両方に挟まれた世界の中で、それでも希望に向かって、この現実を歩む。それをエヴァウテナといった作品をオマージュすることで示そうとした作品がTVアニメ版『血界戦線』であり、『ひとりぼっちの地球侵略』だったのです。

 

・まとめと感想。

 

以上、『ひとりぼっちの地球侵略』とTVアニメ版『血界戦線』の共通点について、それぞれのオマージュも踏まえながら26000文字程で論じてきました。それぞれの生みの親である松本監督と小川先生は同じ女性作家で、しかもお年が1歳差程度と似たような境遇にある方々ではありますが、そこまで話を延長するのは野暮でしょう。

『ひとりぼっちの地球侵略』に私が惹かれた理由は、エヴァウテナに見られたような価値観を持つヒロインである大鳥先輩を主人公である広瀬くんがちゃんと救おうとし、二人で成長していく作品という方向性が物語の中で強く示されていたからです。ここにいられないかもいれない恐怖、ここにいたいという葛藤を広瀬くんが乗り越え、そしてその先に進む道を大鳥先輩と共に進もうと手を差し伸べる姿こそ、私が見たいと望んでいた姿だったからです。その後エヴァウテナのオマージュを本当に発見してしまったときは大層驚きましたが、それすらも先に進もうという道を指し示すためのものとしてそこにあると理解できたときは作品から伝わってくるひたすらな一途さに感動すら覚えたものです。

この発見自体は3巻の時点で既に何かに書けるぐらいのものにはなっていましたが、私はそうして形にすることを今までためらっていました。オマージュというのは非常に扱いの難しい表現技法ですし、それを読みとるのも困難です。そういうものを気安く書くことに強い不安があったのです。正直、ぼっち侵略が完結したら書こうとすら考えていました。

その考えが変わったきっかけは勿論TVアニメ版『血界戦線』の最終回を観たからです。本当に驚きました。『ひとりぼっちの地球侵略』に近いことを、TVアニメでやっている作品があったのです。方向性ならまだしも、オマージュの点まで似たようなことをする作品に出会えるとは全く思っていませんでした。しかも最終回の放送日は10月4日。新世紀エヴァンゲリオン初回放送日からちょうど20周年で、全国の街頭ビジョンで第1話が流れているようなタイミングでこれをやってみせたのです。最終回の延期まで含めて、全てを計算のうちにやっているかのような錯覚すら覚えました(勿論それは言いすぎですが)。この作品と一緒になら、『ひとりぼっちの地球侵略』のオマージュについても話すことができるかもしれない。そう思ったのが今回こうして長々と記事を書いている理由なのです。

繰り返しにはなりますが、オマージュは扱いの難しい表現技法です。知識を要求されますから誰にでも伝わるものではありませんし、変な風に捉えられてしまうこともあります。私がここで書いたものだってすべてが全て真っ当に理解できたものであるとも限りません。それでも、オマージュは読者が今まで多くの作品を読んできた経験や思い出をもう一度掘り起こし、作品そのものの面白さやメッセージと上手く重なり合うことで作品の感動を更に膨らませる可能性をもっています。私はオマージュもそうでない部分も含めて『ひとりぼっちの地球侵略』とTVアニメ版『血界戦線』という作品は面白いと思っていますし、とても好きです。彼らがキャラクターやストーリー、細かな演出やオマージュの全てを駆使して見せようとしてくれたものを愛していると言ってもいいでしょう。本論は堅い文章になってしまいましたが、この記事がこれらの作品をより面白く、より楽しく鑑賞できるようになるきっかけになってくれれば私は嬉しいです。

以上でこの記事を終わりとしたいと思います。最後まで拙文にお付き合いいただきありがとうございました。それでは。

 

※追記:この記事に関する感想や意見、疑問等を募集しています。もしよければ下のコメントに書いて頂けると嬉しいです。