~プロローグ~
夏が盛りを過ぎても、松横市は依然として猛暑に見舞われていた。2,3日前の降雨も何処へやら、青い空は入道雲の向こうに半分ほど隠れてしまっている。
「あっつ……」
アイラはそんな炎天下を歩いていた。午後3時過ぎと外出するにはやや遅めの時間帯である。本当ならもう少し早く動き出す予定だったのだが、帰国する兄ヴァギト相手に口喧嘩をしていたらいつの間にかこんな時刻になってしまっていたのだ。自然と早足になるのを抑えながら、河にかかる橋を渡っていく。
彼女が目指している場所は喫茶店『天の海』。夏休みの最初は大鳥希の監視のためにと向かっていた場所であったが、今となっては自宅にいると煩いピョートルから逃れてのんびり一日を過ごすための憩いの場所となっていた。
もっとも、本人から遠く離れたからと言ってピョートルから完全に逃れられたわけでもない。いつもより少し重心が傾いた自分の頭を何となく意識してしまう。普段のロングヘアを上の髪だけアップにし、それが更にお団子状に編み込まれ丸められている。所謂ハーフアップという髪型だ。外出前にピョートルが施したヘアアレンジである。アイラ自身はピョートルの整髪をそこまで嫌っているわけではなかったが、過剰なヘアアレンジに関しては例外だった。当然ながら今回のハーフアップも過剰な域に属する。
服装は白のTシャツにボーダーのスカート。こちらはアイラが自分で選んだ服装である。先日プールに遊びに行く際にも使用したサンダルを履いている。ここの所暗色系の服を選ぶことが多かったので思い切って白を基調にしてみたのだ。
「はぁ……」
お洒落な外観にそぐわずアイラの表情はやや重い。ようやくヴァギトからは解放されたものの、渡されたビシャホラや与えられた使命など問題は山積み。夏休みも残り少なくなってきた今、彼女が束の間の休息にと天の海に向かうのは寧ろ自然なことだった。
その天の海がアイラの前方に見えてきた。窓から覗く店内の様子から、今は客がいないことが目を使わなくとも察せられた。にも拘わらず元気そうな声が聞こえてくる。うちの一つは――――。
ゆっくりと扉を引いて店内に入ると、声の主達の会話が聞こえてくる。
「結局お前のせいで催涙ガスゲーになっちまったじゃねえかよ!瀧!」
「技能値割り振らないで使える武器だから2010環境でスタンガンと催涙ガスは強いんですよ!龍介先輩だってルルブ読んで納得したじゃないですか!」
「お前ロールプレイバリバリ楽しむくせにルルブはきちんと読んでるんだもんなぁ……KPやってて本当に疲れたよ……」
天の海で暮らしている兄弟の長男龍介と、その後輩で天の海のアルバイトをしている瀧だった。アイラは龍介のことはよく知っているものの、瀧に関してはアルバイトの店員以上のことは知らない。
「あ、いらっしゃい。先輩。あの子ですよ」
「ん……? のわっ!? いらっしゃい!」
おどおどした態度と眼鏡の奥の戸惑いの表情。もう少しピシッとならないのかと思っても口には出さず、アイラは慌てた様子の龍介に尋ねた。
「希と岬一は?」
「あぁ……今日は二人で出かけてるよ」
二人の姿は天の海にはない。恐らく秘密基地にいるのだろう。あそこにいる限りはアイラも監視をすることができないので、天の海に来た表面上の理由がすっかりなくなってしまった。こうなると自分の恰好も相まって、天の海にいることがちょっと窮屈になってしまう。
ともあれ、いないからといってすぐに出ていくのも面白くない。
「そう。ジンジャーエール一つ頂ける?」
「かしこまりました。こちらの席にどうぞ」
椅子に座ると、目の前に分厚い大きな本が一冊。表紙に何やらおどろおどろしいクリーチャーが描かれている。
「……何これ?」
「あっ!? 瀧! お前ルルブ片づけてないぞ!!」
「あーっ!! すみません!」
龍介の声に焦った瀧が本を取りに来る。
が、その瀧の手が伸びる前にアイラがその本に手を伸ばした。
「『Call of Cthulhu』……? ラヴクラフトの? TRPGって書いてあるけど……」
「そ、そうなんだ。テーブルトークロールプレイングゲームって言ってね。要するにゲームブックなんだ」
「ふーん……」
眺めながらページをパラパラと捲る。色々な数値表が沢山並んでいたり怪物が図鑑のように並んでいたりと、内容は様々だ。本を読みながらアイラは龍介に聞く。
「で、これで遊んでたの?」
「いや、遊んでたのは昨日だったんだけどね。休憩中に瀧とちょっと読んでて」
気分転換に天の海にやってきたアイラにとって、いきなり現れたTRPGというゲームは興味深いものだった。巷で子どもが遊んでいるGS(ゲームステーション)などには無関心だったものの、チェスを初めとするボードゲームなら大鳥希と遊んだことが幾度かある。本からはどんなゲームなのか想像がつかない点も気になる。
何より、龍介が遊んでいたという事実が決め手だった。
「ねぇ、これ、すぐに遊べるものなの?」
「へっ!? いや、今すぐってわけには……何人かで遊ばないといけないし、色々準備が必要だから……」
「それでもいいわ。これ遊んでみたいんだけど。」
「えーっと……瀧、これお前のだろ?」
「いや、COCはちょっと初心者向けには難しいかもしれませんね……PC作成だけで一日潰れかねませんし……」
「そうだよなぁ……」
「あ、でもネクロニカなら簡単じゃないですか?あれダイスも一個しか使いませんし」
「ネクロニカ!? お前それは――――」
「あの、いいかしら、瀧さん」
龍介と瀧の会話にアイラが口を挟んだ。
「あ、はい!」
「その、ネクロニカってやつだったら簡単に遊べるの?」
「えぇ、そうですね」
「なら遊ばせて頂戴。明日でもいいわ」
「いいですよ。今日ちょうど持ってきてますし、ここに置いていきますよ……でも人数がもう少しいた方がいいですね」
「希と岬一も入れればいいわ」
「なるほど。じゃあ、今ルルブを持ってきますね」
瀧は休憩室からネクロニカのルールブックを持ってくるべく店の奥へと引っ込んでいく。
龍介がカウンターでジンジャーエールを作りながらアイラに不安そうに質問する。
「あ、アイラさん、本当に遊ぶのかい?」
「えぇ。今日は準備して明日遊べばいいんでしょう?」
「そうですね……そしたら俺がNCやればいいか……」
「なに、貴方も参加するの?」
アイラの目が少し見開かれた。
「そのゲーム、司会というか、進行役が必要なんだ」
「そ、そう……分かったわ」
「慣れた人がやらないといけないからね。明日は瀧休みだし」
そう言いながら龍介がジンジャーエールを運んでくる。アイラは受け取りながら窓の向こうへとぎこちなく視線を逸らした。
そこへ瀧が新しい本を抱えて戻ってきた。
「これがネクロニカのルールブックですね。後半はネタバレになっちゃうから読まないように注意してください」
「ありがとう、この本はもういいわ」
ネクロニカのルールブックを受け取りながらアイラはCOCのルールブックを瀧へと返した。
「ごゆっくり!」
そう言いながらカウンターへと向かう瀧に龍介が声を潜めて話しかける。
「瀧ィ……なんでネクロニカなんて渡したんだよ!」
「え……だって簡単じゃないですか」
「あれはルールは簡単でも色々とダメだろ!」
「あ……でももう渡しちゃいましたし、アイラちゃん、普通に読んでますよ?」
「本当だ……強いなぁあの子……」
「危ない要素薄いシナリオにすればいいんですよ……サンプルシナリオとか」
「それなら準備も早く済むか……しかし参った……」
「先輩!ファイトです!」
「元はといえばお前が本をテーブルに置きっぱなしにしたせいだろうが―!」
二人のひそひそ話をよそに、アイラはネクロニカのドールセクションに目を通していく。ジンジャーエールの氷が溶けてカラリと音を立てる中、午後のひとときはゆっくりと過ぎていったのだった。
『ひとりぼっちの地球侵略』&『永い後日談のネクロニカ』
クロスオーバー二次創作作品
ぼっち侵略のネクロニカ ~ドール作成パートへ続く~